「TEN YEARS AND (STILL) RUNNING」発刊記念 橋本薫 SPECIAL INTERVIEW
初の写真集「TEN YEARS AND (STILL) RUNNING」を発売。
このインタビューでは、これまでにリリースしてきた作品をもとに、その当時バンドがどんな段階にあったのかを橋本薫(Vo&Gt)目線で振り返ってもらった。
CDデビュー作に“お通し”と名付けていた彼らが、最新アルバムで“ようこそ”と開放的なタイトルを付けるまでにどんな道のりがあったのか?
時代の変化を感じながら、自分のセンスを絶えず信じてきたHelsinki Lambda Clubの真髄に触れる!
Text by 千々和香苗
ギャグマンガ期(赤ちゃん期)〜売れ模索期(売れたい期)
▼ギャグマンガ期(赤ちゃん期)
・8cmシングル「ヘルシンキラムダクラブのお通し」(2014.12.10 release)
・ミニアルバム『olutta』(2015.03.18 release)
――8cmシングル「ヘルシンキラムダクラブのお通し」以降にリリースされた作品をもとに、それぞれどんな期間だったのかを橋本さんに振り分けていただきましたので、順にお話を訊いていきたいと思います。まず、バンド結成初期の「ヘルシンキラムダクラブのお通し」と、ミニアルバム『olutta』の頃を名付けて<ギャグマンガ期(赤ちゃん期)>。ギャグマンガというのは、2023年9月26日に行なわれたO-EAST公演(『Helsinki Lambda Club 10th Anniversary Tour「ヘルシンキラムダクラブへようこそ」』)のMCでもおっしゃっていて、聞いた時にしっくりきました。「バンドワゴネスク」はヘルシンキでは珍しい夢を歌った曲で青臭さもありますし。
「この時期はシリアスさがなくてほのぼのしているというか、まだバンドに夢が持てそうな感じで(笑)」
――Helsinki Lambda Clubはオーディションがきっかけで2014年にUK.PROJECTからのCDデビューが決まったわけですが、オーディションで勝ち上がった喜びや意気込みよりも、“いよいよマジな感じになってきちゃった……”みたいな戸惑いがありそうだったのがまさにギャグマンガっぽいというか。望んでいたことがいざ目の前に来たら、たじろいでしまうキャラクター性みたいなものを当時から持っていたと思います。
「そうですね。今振り返ると、その時その時の戦い方をしていたと思います。今も下手くそなんだけど、“下手くそな状況でどう見せるか?”っていうのが頭の中にはあったし。若い頃って、できれば笑いも取りたい気持ちがあったんですよ。自分の自信のなさをお笑いでまぶした見せ方をしてしまうみたいな。でも、お笑いに対するリスペクトができればできるほど、素人は手を出しちゃいけないんだってことをようやく覚えてきて、最近はお笑いには免許がいるなと思ってボケなくなりました(笑)。当時の自分たちの規模感を肌で感じていたから、やれてしまっていたところもあるかな。そういう意味でのギャグマンガ期でもあったなと」
――笑いの要素を入れるみたいなところで、曲に込めている芯の部分をちょっとはぐらかしながら伝えている印象はありました。オマージュにしても歌詞にしても、真髄が掴みきれない面白さがあるバンドだなと。
「今聴くと稚拙に感じちゃうところもありますけどね。この時から常々周りのことを見てバランスをとっていたのかなとは思います。自分を後回しにしちゃっている部分もあったけど、とにかく自然体でいたいという気持ちだったので、その時々のメンバーで無理のないことをやっていて、このあたりの曲は作るべくして作った感じがありますね。右も左も分からない状態で、自分と別世界との距離が掴めていなかったんですけど、最近はそこの距離をもうちょっと具体的に測れるようになったのかな。でも、歌詞は昔のほうが賢かった気がします(笑)。どんどんアホになって行っているなと」
▼売れ模索期(売れたい期)
・マキシシングル『友達にもどろう』(2016.06.08 release)
・アルバム『ME to ME』(2016.10.26 release)
――<売れ模索期(売れたい期)>に属するのはマキシシングル『友達にもどろう』と1stアルバム『ME to ME』ですが、この2作は意味合い的にやや間隔が空いている?
「この2つはちょっとマインドが違うんですよね。<ギャグマンガ期>までは統一感があったので、別の側面を出したいってところで作ったのが『友達にもどろう』。『ME to ME』は1stフルアルバムなので“売れたい”という気持ちがあるんですよ。『友達にもどろう』で今までとは別の要素も出したものも含めて、『ME to ME』はなるべくストレートなかたちを意識したというか。どっちも気持ち的に開けてはいるんですけど、メンバーの脱退があってバンドは良くない状態で」
――さっきのお笑いの話じゃないですけど、『友達にもどろう』は「しゃれこうべ しゃれこうべ」という歪なラブソングもありながら、「TVHD」というクスッとくる曲が入っているのも面白いバランスだなと思っていました。
「昔のほうが内輪の感覚というか、好きなものに対してはピュアな感覚だったんだろうなと思います。自分の好きなものとか、“ここが面白いだろう”というのが伝わるって思っちゃっているわけだから。今のほうがバンドとしての自信はあるけど、そういう部分に関しては勘違いも込みで当時のほうが自信があったのかもしれないですね。遊びの感覚が強かったかな」
――そういった遊び要素を入れるのは、単純に橋本さんが好きでやっている部分のもあると思いますけど、どんな曲を作っても“マジな感じになりすぎない”みたいな境界線はあったんですか?
「それは常にありました。でも、世の中がこんなふうになっていくともうシリアスにならざるを得ない。ふざけられる空気感ではいられなくなってきたなと思います。まぁ、世の中とかじゃなくて自分自身も『友達にもどろう』くらいからバンドの中身がバタバタだったので、そんな状況でよく続けたなと思います」
――自分の心情やバンドの状態を加味して、できることが限られている状況だったと。
「そうですね。『ME to ME』は(熊谷)太起にも手伝ってもらったので、その時は太起がいる楽しさがあってなんとかやれた感じはありました。下岡さん(下岡晃/Analogfish)もプロデュースで入ってくれて、この時は“フルアルバムをちゃんと作ったら、バンドの道も開けていくんじゃないか”という気持ちがあったので、いいアルバムを作るっていう意気込みはしっかりありましたね」
――『ME to ME』の楽曲からは、広い層に届ける意識みたいなものがすごく伝わってきます。
「自分の中では「This is a pen.」を世間に寄り添えるキャッチーな曲という認識で作っていたんですけど、思っていた以上には広がらないなぁとか。バンドの状態が苦しいというのもあって、早く浮かばれたいと思っていた時期でもありましたね。その分、気合いが入っている時期でもあるんですけど」
――気持ち的に苦しかったのは『ME to ME』のリリース後ですか?
「そうなのかな。覚えてないというか、記憶から消しているところもあるので。作っている最中もバタバタしてたけど、リリース後のツアーとかしんどかったと思いますね。『split』らへんとかは安倍っちの脱退も控えてたし(笑)。ここから『Tourist』までは一番バンドを辞めそうな時期だったかも」
――『ME to ME』は脱却という意思が強くあるように思えたアルバムで、今までを切り離すような勢いを感じました。「This is a pen.」というフックになる曲や、陰のある「メサイアのビーチ」で垣間見える死生観とか、「目と目」は変わっていくことを受け入れるような曲にも思えます。
「そういうマインドは出ていたかな。「This is a pen.」もメンバーのことを言っているようなところもあるし。この時期は変わっていくこととか、失っていくことに対しての表現が<ギャグマンガ期>よりもリアルになっている。死というものの表現にも繋がってきているし」
――私は「This is a pen.」は自分の個性の死を歌っているのかと思って聴いていたので、リスナーの解釈の幅が広がっていったタイミングでもあるのかもしれないです。そういったバンドの変化の時期に出たアルバムの最後に収録されている「マニーハニー」の歌詞では、「ユアンと踊れ」の《何にもないけどここにおいでよ》を引用していますね。橋本さんの心情を聞くと、自分を奮い立たせるためにそう歌っているような気がしてきました。
「全然意識してなかったけど、そう言われたら……そうなんじゃないですね(笑)。時期的にもまぁ弱ってはいたというか、無意識に自分の精神状況も相当影響していただろうから」
インディーオルタナ追求期(すね期)
▼インディーオルタナ追求期(すね期)
・split CD『split』(2017.6.7 release)
・7inchレコード『Time,Time,Time』(2017.11.3 release)
――そんな<売れ模索期(売れたい期)>から、split CD『split』と7inchレコード『Time,Time,Time』の時期は<インディーオルタナ追求期(すね期)>になると。
「やっぱりアルバムを出すたびに“じゃあ次はどうしようか”とか、“どうなっていくんだろう”と切り替わりますね。自分の中では『ME to ME』で“こんな感じか”みたいな落ち込みもあったので、売れるか売れないかじゃなくて、この時期は自分の好きなものを作ろうと。で、tetoとのスプリットだし、真正面からいっても重たいだろうとか、そこで戦うバンドじゃないよなっていう感覚で作ったのが『split』なんですよね。それでいうと『Time,Time,Time』も仲間。とは言え、“売れねえなぁ”って拗ねている期間ではあります。僕がバンドを始めた頃からなんとなくカテゴライズされたものに人は寄っていくというか、そこがバンドをやっていて一番苦労していたところかな」
――『split』に入っている「King Of The White Chip」「Boys Will Be Boys」はライブの雰囲気を変えた印象が強いです。もともと前のめりな感じではなかったけど、Helsinki Lambda Clubの自分たちらしいペースが見えてきたと言いますか。
「特にこの時は自分たちのやりたいアプローチをやっている感じがあったから、ライブでやる頻度も多かったかなと思います」
――熊谷さんが加入した時期でもありますね。
「太起が入ったのは大きいですね。それまでは自分を俯瞰で見てオシャレな方向に行くと無理があると思っていたから、バンドのイメージも当時のサブカル的な匂いに入っていた感じがあるけど、太起が加入してからはカッコ良いことをやれそうだなと。ギターを弾いている姿を見る前から目はつけていたので、やっぱり光るものがありました。入りとしてはぬるっと“まぁ、楽しいって!”みたいな感じだったけど、本人も性格的に楽しいだけでは入ってくれなかったと思います。最初のマインドは大学生みたいでしたけど(笑)」
――この期間は『Time,Time,Time』に収録されている「素敵な負け犬」のイメージがあるので、<すね期>というネーミングが妙に腑に落ちます。いわゆる<ギャグマンガ期>のヘルシンキっぽい曲だと思われてしまいそうな曲だけど、実はかなりヒリついていて、今まであったユーモアというオブラートが剥がれかけている皮肉な歌詞にゾクゾクしました。
「自分と世の中との距離とか感覚の違いがようやく分かってきた気がするんですよね。自分がすごいって言いたいわけじゃなくて、“ここまで分かりやすくないと響かないんだ?”と感じることがすごく多い。それがいいとか悪いではなくて」
――“どんな感情を歌っているのか”ということがガツンと伝わる曲が注目を浴びやすい傾向にはあると思います。悲しい曲なのであれば、頭から爪先まで悲しさを表現しているような。
「僕は悲しいということを、そのまま悲しいって言わなきゃいけないんだ……っていう気持ちになっちゃうんですよね」
――そういった世の中とご自身の感覚のギャップは『ヘルシンキラムダクラブへようこそ』に至るまでも向き合い続けていると思うんですけど、同作には明快さに振り切った「Be My Words」という曲もあるわけで。霧が晴れたとは言えないけれど、<すね期>があるからこその今のヘルシンキを感じます。
「世の中が笑えない状況になってきたから、ポジティブに向かわざるを得なかったのもある気がしますね。あんまり注目されないけど、自分ではヘルシンキをすごく時代性のあるバンドだと認識しているんですよ。個人的には常に世の中との関係性で曲ができていると感じるんですけど、人はそこまで見ないよなとも思います。だから、このバンドに関しては音楽性どうこうではなく、いかに自然体かというのが重要で。自然体というのは演技をしないことではなく、演技をする局面が自然であればそれは自然体だと思うし、そういう意味で常に自然体であって、形になっていくのがヘルシンキなのかなと最近思います」
――それは橋本さんの中のバンド像だけではなく、熊谷さんと稲葉さんにもしっくりくる言葉ですね。
「アイツらは自然体ですね。それを意識したことがない人が一番自然体だと思うので、特に稲葉は当てはまる。羨ましいなとも思います」
薄明期(旅シリーズ第一部/距離、空間の旅)
▼薄明期(旅シリーズ第一部/距離、空間の旅)
・ミニアルバム『Tourist』(2018.12.5 release)
――<ギャグマンガ期(赤ちゃん期)>の振り返りで話していた、バンドのバランス感を優先するという意識は、『Tourist』あたりから徐々に薄れているというか、優先順位が変わってきた印象があります。
「『Tourist』は明確に変革があった時期ですね。これを機に俯瞰で見ることの意識は少しずつ抜けて、今のマインドに近づいていった感じがあります」
――作品としてはここから3人体制がスタートしていて、稲葉さんが歌うパートのある「ロックンロール・プランクスター」や、品があるけど不穏な空気感も漂う熊谷さんギターなど、メンバーの個性をよく感じ取れる作品だと思います。
「この時期のドラムは付き合いが長いカッキー(柿内宏介)がサポートしてくれていて、それも大きかったんですよね。バンドの楽しさを久々に感じて、改めて“バンドやろう!”ってことで民主主義的なやり方を採用してみました」
――この“旅”というテーマは?
「制作の時にあったイメージではなくて、最近振り返ってそんな感じだったなぁと。肩の荷が降りて、別の視点になったというか。メンバーの脱退があって、バンドがダメになっちゃうんじゃないかと感じつつも、必死こいてやっていたら自分が思うほどのダメージがあったわけではなかったし、良くも悪くも何かが劇的に変わることはないのかもなって。プライベートはしんどかったから、その体重が乗っている曲もありますね」
――「引っ越し」をはじめ人を救うフレーズと言いますか、包容力のある歌詞も見受けられます。
「たぶん自分のメンタルがめっちゃブレてたんじゃないですかね(笑)。もともと躁鬱があるので、全てをそこに集約しようとは思っていないけど、自分でも把握できない部分で人に迷惑をかけたり、変に思われた部分もあるんだなってことがあったりして。音楽を作ることが、そういう自分と向き合う側面もあると思う。そのあたりは『ヘルシンキラムダクラブへようこそ』で清算したところもあるんですよね。でも、メンタルヘルスの問題は慎重に扱いたい。自分が誤解されるのはいいんですけど、全てをそこに持っていっちゃうっていうのは違うと思うから。それで救われるならいいけど、もう一歩踏み込んだ認識も必要だなと」
――曲としてはヘルシンキ流J-ROCK的な「Jokebox」には新鮮さがありました。「This is a pen.」のアプローチに似たキャッチーさを感じます。
「このあたりから、世間の感覚に合わせにいくチャンスがある時は合わせにいってみようという意識がちょっと出てきていて。「Jokebox」とか「PIZZASHAKE」は今の自分が許せる限りで開けたものを作りたいと思ったものでもあるし、マッシュさん(ex. Kidori Kidori)にも開けたアプローチをやったほうがいいんじゃないかと言われていたこともあってチャレンジしました。「Jokebox」は間奏ではメンバーがやりたいことをやっていますけど。節目節目でそういうアプローチはやっていくんだけど、やっぱりキャッチーなものって難しいんですよね」
――音楽的なキャッチーさの追求とはちょっと違う話かもしれませんが、「ロックンロール・プランクスター」の《死ぬまで生きたら褒めてよ》というフレーズは、ヘルシンキの曲の中でも特にリスナーの心に届いていると思います。
「そうですね。5年くらい経って今これがフィットしているのかなって。普通の角度ではないけど、言葉自体の分かりやすさはあるっちゃある」
――稲葉さんが歌っている曲というのもフックになっていますね。
「もちろん、自分がやりたいことをやっているんだけど、その時に自分の周りにいる人の個性はなるべく活かしたいというか、“この人とだから”っていう部分が強い曲だとは改めて思います」
覚醒期(旅シリーズ第二部/時間の旅)
▼覚醒期(旅シリーズ第二部/時間の旅)
・Tシャツ+CD-R『Good News Is Bad News』(2019.12.11 release)
・2ndアルバム『Eleven plus two / Twelve plus one』(2020.11.25 release)
・配信シングル「Inception(of)」(2021.9.29 release)
――続いて、Tシャツ+CD-R『Good News Is Bad News』、2ndアルバム『Eleven plus two / Twelve plus one』、配信シングル「Inception(of)」は<覚醒期(旅シリーズ第二部/時間の旅)>。
「自分で“覚醒期”って言うのは恥ずかしいけど、いったんこれで(笑)。ここらへんからは視野が広くなって、海外にも向いてくるんですよ。『Eleven plus two / Twelve plus one』は『Good News Is Bad News』の延長線上ではあります」
――タイトル曲の「Good News Is Bad News」を直訳すると“いい知らせは悪い知らせ”ですが、この疑い深さだったり、物事を多角的に捉える感じだったりはヘルシンキが常に歌ってきたことでもあると思いました。
「そうですね。常に歌ってきたことを徐々に解像度を上げていって、この形になったのかなと。曲自体はシンプルですけどね」
――「Debora」もヘルシンキが凝縮されている曲で、この突拍子もない展開や歌詞には意味があるのかないのか……はたまた、どちらでもいいような感じが面白いです。
「そこの塩梅はトータルで見るとヘルシンキって感じかもしれない。音楽じゃないけど、伊坂幸太郎さん的なメジャーさに憧れているところがあって、すごく健全なバランスだと思うんですよ。単純なエンタメとしても機能するけど、一つ一つを見ていくと時代性や、その時のマインドが散りばめられている。けど、どうとでも受け取れるっていうのがいいなと思うし、ヘルシンキがそれに近いと言うと恐れ多いですけど、そのバランスを目指したい気持ちはありますね。ヘルシンキは作品というより、エンタメ寄りのバンドだと思っているので、「Debora」はそんな曲なのかなと思うんですけど、まだまだ人に伝えるという分かりやすさは足りてないんだなぁと」
――その次にリリースされた『Eleven plus two / Twelve plus one』はかなり時代性のあるアルバムだと思うんですけど、曲によって過去、現在、未来とテーマを分けているところにエンタメ要素もあるんですよね。特に稲葉さんが作詞作曲をした「Sabai」のテーマは意味深で、“未来では橋本さんがバンドを脱退していて、残されたメンバーだけでヘルシンキを続けるために作った”という演出があるので、これってどこまでが本音なんだろう?と気になりました。
「もうそれは基本的にマジですね。僕はアンミカさんが好きなんですけど、アンミカさんって自分はマジで言っていることを、周りの人がギャグにして捉えているのを分かっているんですよ。それでいいと思っているし、真意を汲める人がちゃんといることも知っているというマインド。このテーマもそういう意味でのマジです(笑)。健全に続けていくにはもうそれでいくしかないなと。狙いも大事だけど、どう見られるとしても根底にあるのはマジですね」
――そのあたりはメンバーにどんな伝え方をしているんですか?
「どうですかね。最近は具体的に伝えるようにはなったけど、この頃は“コイツ、何を言ってるんだ?”的な感覚もあったと思います。近い存在でも僕が思っていることってなかなか理解されないと自覚しているので、それでも伝え続けていたらメンバーにも“こういうのがこの人のマジなんだ”ってちょっとずつ伝わっていった感覚があるかな。例えば「you are my gravity」を作る時に、“未来では自分の脳みそがホルマリンの中に培養されているだけの存在になっていて、でも記憶はあるから、曲を作りたいという信号だけで何かのフレーズが形になっているみたいな感じで……”っていうのを説明したら、“あぁ、なるほどね”って納得してくれるみたいな。今のはニュアンスの話ですけど、そんなふうに慣れてもらった感じはあります。本当に奇を衒うとかはなくて、マジで言っているだけなんです」
――曲の作り方にしても、歌詞にしても、橋本さんは自分の感覚が人に伝わらないってことに向き合い続けているんですね。
「僕はもともと世間とズレている感覚がなかったんですけど、ようやくここ数年で認識できて、そこからヘルシンキの<黎明期>に入っていく感じですね。それまでは“自分如きの人間の考えることが伝わらないはずないよね”くらいのスタンスでいたんですけど、やっぱそうでもないんだなっていうのを受け入れたのが最近で。子供の頃から全然褒められずに育ってきたから、この歳になるまで自分がどれだけ歪かってことに気づく機会がなかったんだろうなと思います」
――『Eleven plus two / Twelve plus one』では必ずしも人に賛同されない状況も描かれていて、橋本さんが自分と世間のズレを感じながらも、伝え方を模索しているのが受け取れます。
「日々思うのは、我々って小さい頃から教育ないしテレビでも洗脳されているというか、与えられた正しさっていうものからなかなか抜け出せないんだなと。正しさって一つではないし、そもそも“正しさってなんだろう?”とも思うし。そういうところに目を向けてほしい気持ちをメッセージにしたいとは思っています。これで歌っていることって正しいことではないけど、当事者にとっての正しさがあってもいいんじゃないかというか」
――今も人に伝えるための表現方法を挑戦し続けている感じですか?
「そうですね。自分がズレていることを自覚して、それを“伝えよう”という気持ちがあるなら、伝えられる形にしていかなきゃいけないっていうのでできたのが『ヘルシンキラムダクラブへようこそ』でもあるんですけど。自分が想定していた位置よりも、さらにズレていたんだろうなっていうのは、アルバムを作ったあとに思いました。アルバムって作り終わると“結局また濃くなっちゃったな”と思うんですよ(笑)。僕は音楽が好きで、これは音楽のことばっかり考えている人間が作ったものだけど、そうじゃなく暮らしている人は、ほどほどのものを好むよなって当たり前のことに気づき始めた、そのジレンマみたいなものがあります。時間をかけて自己認識と世間の認識をすり合わせている10年ではあるのかな。まだ分かったわけではないけど、自分を知るための10年でもあったし」
――ただ、先ほどのテーマの話でも出した「Sabai」には、人に疎外感を与えず、励ましてくれるような要素があって、バンドにとっても薬的な役割の曲になっているのではないかと。
「マジで稲葉っぽい曲だよなぁ。リスナーの人はこの曲自体を稲葉の雰囲気っぽいと感じると思うんですけど、あれって稲葉なりにヘルシンキに寄せている曲なんですよ。稲葉は置きに行くタイプなので(笑)、そういう意味で彼の人間性が出ている曲だなと。稲葉があの曲調をやりたいわけじゃなくて、自分で曲を作ることになって、ヘルシンキに必要なものを考えた結果という。歌詞は稚拙ではあるけど、ちゃんとマインドが乗っかっている曲なので作らせてよかったと思います」
――ヘルシンキはいつもポジティブさが裏テーマにあるというか、ポジティブな要素を隠し持っている気がするので、それを真ん前に持ってきたような曲だと思って聴いていました。
「本当にいい歌詞なんですよね。稲葉はああ見えて自分の人間性をあんまり出さないところがあるから、最初に歌詞を見た時は優しさでヘルシンキっぽいことを書いたのかと思っていたんですよ。でも、後日飲んでる時に別の友達が稲葉に「Sabai」の話を振って、そこで話していたことがあって。稲葉には弟がいるんですけど、その弟が悩みすぎてしまう性格で、コロナ禍でもストレスで体調を崩していたから“弟に大丈夫だよっていうのが言いたくて作ったんですよね”って。俺はその話を聞きながら、“マジかよ……”って歯を食いしばって泣くのを堪えて(笑)。曲を出したタイミングで言うことでもないのかなと思って、あまり表では言ってなかったんですけど」
――本当にいい歌詞です。新木場STUDIO COAST公演(2021年7月20日開催『「Eleven plus two / Twelve plus one」release “おかわり” tour 〜皆さん、お変わりないですか?〜』)ではかなりの時間をかけて、曲のテーマを具現化したパフォーマンスしていたのも感動しました。
「まぁ、あれは長かったですけどね!(笑)」
再模索期〜クリア期、遊び期(旅シリーズ第三部/精神の旅)
▼再模索期
・配信シングル「Be My Words」(2021.10.27 release)
・配信シングル「ベニエ」(2021.11.24 release)
・配信シングル「収穫(りゃくだつ)のシーズン」(2021.12.22 release)
・配信ライブアルバム『Live at STUDIO COAST,2021.07.20』(2022.3.2 release)
▼クリア期、遊び期(旅シリーズ第三部/精神の旅)
・ミニアルバム『Hello, my darkness』(2022.7.13 release)
・配信シングル「NEW HEAVEN」(2023.1.18 release)
――ここで配信シングル三部作と、新木場STUDIO COAST公演を収録した配信ライブアルバムまでが<再模索期>。ミニアルバム『Hello, my darkness』と配信シングル「NEW HEAVEN」が<クリア期、遊び期(旅シリーズ第三部/精神の旅)>。そして最新作の3rdアルバム『ヘルシンキラムダクラブへようこそ』で<黎明期>になっていくと。
「配信シングル三部作のあたりでは別の可能性が見えたなと思ったんですよね。で、 “それはそれで”ってなりました(笑)。やっぱりヒットしないので、“そっちじゃねえか”となって。『Hello, my darkness』のあたりはドラムでよっさん(吉岡紘希)がいる影響が大きくて。カッコ良く説得力がある曲、人力に拘らないアプローチの良さとか、自分がヒップホップにハマっている時期でもあったので、音数を少ない感じでやりたいのもありましたね。甘い考えではあったんですけど、海外のインディーだとその人自体は有名じゃないけど、単発でいい曲がハネているのを目にしている時期だったので、そういう広がり方ができないかな?とかも考えながら作っていました」
――考え方がクリアになりつつ、その名のとおり遊んでいる感覚も持っていた?
「そうですね。音楽自体はすごく楽しんでいる時期で、2022年はプレッシャーを感じすぎずにやっていたので、音楽的な遊びを突き詰めていた流れで配信シングルの3作に至ったと。売れることを考えたアプローチとは別軸でやっていて、翌年が10周年であることは念頭にあったから、その前に自分たちのやりたいことを一回やってみて、実力を知るというか。自分の限界みたいなものを手探りして、一区切りつけました。で、やっぱりこういう好きなことをやって広げていくのは難しいものだなと実感して、2023年はもっと伝えようという意識になる。まだまだ甘いんだけど、“もっと人に伝えたい”という意味で前を向き始めたのが<黎明期>ですね。音楽的には<クリア期、遊び期>でいろいろと試せたので、自分たちの持っているもので、キャッチーというのを忘れずにアルバム制作に至っていくという」
――<ギャグマンガ期>のヘルシンキは根拠のない自信を持っているように見えていたんですけど、『Hello, my darkness』以降からは、それが本当の自信に変わっていっている印象があります。
「そう見えるのは意識が外に向いてきたからですかね。若い頃の自分が嫌な人間だったとは思わないんですけど、すごく人見知りだから、コミュニケーションを広くとれていなかったんですよ。というのも、音楽で評価されないと意味がないっていう気持ちが強くて、人間関係で音楽活動を上手く回している人や、そのやり方に対して若干懐疑的だったというか、頼っちゃいけないという気持ちが強くてドライだった気がします。それがこの数年では自分自身が納得いくものを作って活動していれば、誰と付き合おうが関係ないというか、むしろちゃんと人と関わっていったほうがいいなと思うようになってきたかな」
――20代の頃の橋本さんにインタビューさせてもらった時に、「だいたいの人のことが嫌い」とおっしゃっていたんですよ。
「全然記憶にないですね。そんなに尖ってたんだ(笑)。音楽業界というものに入った時がマジで信用できないことばっかりだったんですよ。だから、気を引き締めていないとダメだと思っていたんだろうな。当然、自分が想像していた世界とは違うものではあるだろうけど、あまりにもロマンがねえなって思ったところから始まったので。それが音楽で評価されないといけないという意識になって、だんだん歳をとって学んでいくものがあったから、そのあたりの心境は相当変化があると思います」
――橋本さんに対してその言葉のイメージが頭の片隅にあったので、O-EAST公演(『Helsinki Lambda Club 10th Anniversary Tour「ヘルシンキラムダクラブへようこそ」』)は感動しました。なんというか、信頼関係のあるメンバー3人とゲストの方もいて、幸福度の高いステージに感じたので、とても人が嫌いな人間のやるライブではないなと。
「いや、人好きですよ(笑)。嫌いと言ってたのもいろんな意味の裏返しだったのかもしれないです。今より関心はなかったと思いますけど」
――ちなみに、配信シングル三部作のビジュアルはどうして椅子に座っているんですか?
「深い意味はなかったんですけど、配信カルチャーっていう部分でジャケットを見た時に人がポーンといるのがいいなと思ったし、三部作というのが先にあって、これまであんまりメンバーにスポットを当ててきたことがなかったなと思ったのもあります。この時はいろいろ挑戦している時期ではあったので、やってみようかなと。結局、太起が全部持っていったけどね(笑)」
――熊谷さんは特に様になってましたね(笑)。それぞれのMVの映像も綺麗でした。
「いいですよね。レンゾ(マスダレンゾ)に撮ってもらったんですけど、仲間っていうのを意識している時期でもあったので、内側に目を向けてたところはあったかな」
―橋本さんの意識が変わっているのと少しリンクしているのか、聴いている側としても<遊び期>にリリースされた曲はより気軽に楽しんで聴いていた感覚があります。
「肩の力が抜けたようなね。意味みたいなものからは距離を置いていました」
――シンプルな感想ですけど、「Mystery Train (feat. Wez Atlas)」はめちゃくちゃカッコ良いです。
「いいですよね。こういうのも作れるんだよなぁ……(笑)」
――Wez Atlasさんはダークな要素もあるアーティストだけど、太陽みたいなスター性も兼ね備えていて、青臭さのあるサビの歌詞は彼がいるから思い切れているようにも感じました。
「Wezくんがいるからこういうカッコ良さそうなアプローチにも振り切れたところはありますね。やっぱり一緒にやる人で曲が変わるんだなと実感しました。Wezくんとは相性が良くて、マインドも合っていたし、自分の中でも開けた曲が作れたんじゃないかと。もう十分すぎるくらい人に届いているという感覚もあるんですけど、この曲自体にまだ可能性があると思う部分もあるんですよね」
――「NEW HEAVEN」という、また違った角度で振り切った曲もありますね。
「これは振り切りすぎましたけど、良いとか悪いとかの尺度で測る曲でもないと思っているんですよね。実験みたいなもので。人は15分も聴かないよなぁ(笑)。ある種、“受け入れられないよね”っていうのを確かめたかったところもある。当然だなっていう諦めをしたかったというか。2023年は結成10周年で、現実に向き合う年にしようって決めていたので、その前の最後の卒業制作じゃないけど、これから人に伝えるものを作るに向けて、ここで自分の心を折りたかった。もちろん伝わったら嬉しいですけど、自分でもこれの正体が分かってないところもある」
――そういう裏テーマみたいなものがあったんですね。
「でも、めちゃくちゃ楽しかったですよ。「NEW HEAVEN」を作ることで自分のやれることの壁が見えたので、その後のアルバムに活かせた曲ですね。これがあるなしでバンドにとって全然違うと思うので」
――その10周年に向けての気持ちはメンバーとも共有していたんですか?
「そうですね。合宿もあって一緒にいた時間も長かったし。2022年はまだコロナもありつつでめちゃくちゃ忙しいというわけでもなく、音楽に集中できる時間があったから遊べた時期で。こういう感覚で制作できるのはそんなに長くは続かないだろうと思いながらやっていたので、2023年に一丸となって頑張っていくために結託した期間だったかな。こんなふうに言うと計算で仲良くしてたみたいになっちゃうけど(笑)、そんなことはなく。「NEW HEAVEN」は商品というより、作品らしい作品。こんなの当事者じゃない人が聴いたら理解できないだろうから」
――確かに理解したとは言えないですね。でも、ジャケットで表現されているような浮遊感はしっくりきましたし、曲で時間を共有しているような感覚がありました。それに、音楽を聴いていて“分からない”という感覚は必要なものだとも思います。
「本来はそうですね。音楽を本当の意味で楽しむためには、分からないものを受け入れる、いろんな意味での余裕みたいなものが必要だと思います。でも世の中のことを考えると、そんな余裕はあんまりないんだろうなと。自分から出てくるものだったり、世の中の反応だったりで、曲を作ることって常に世の中とリンクしているんだなと感じますね。今は不景気だし、お金もそんなに持っていない中でいかに確実に楽しむかっていうスタンスになっていて、そんな時にこんな曲を出されて、何度も聴く人なんて……とか考えますよ(笑)。でも、誇りに思っている曲です」
――そういうのも橋本さんが感じている世間とのズレの一つだと思うんですけど、それを認識した上で、音楽を楽しんでいるところにタフさを感じるというか。そこで落ち込む期間に入るわけではないんですね?
「落ち込まなかったですね、あんまり。これがあったから「スピード」とかに振り切れたかな。「NEW HEAVEN」を相当作り込んだ反動でキャッチーなものが作りたくなったし」
黎明期
▼黎明期
・3rdアルバム『ヘルシンキラムダクラブへようこそ』(2023.8.9 release)
――『ヘルシンキラムダクラブへようこそ』がどんなアルバムなのかを表現する時に、橋本さんから“テーマパーク”というワードが出ていると思うんですけど、それが本当にしっくりきます。前のヘルシンキであればテーマパークに憧れながらも、そういうあからさまに人が集まる空間の近くに自分たちの居場所を作って、ちょっと捻くれた人を誘うようなズルさもあったと思うんです。
「はいはい(笑)」
――でもこのアルバムはもっと器を大きく構えていて、それは自信の表れにも感じるし、これまでのヘルシンキのことだったり、橋本さんが自分を“ズレている”と悩んでいることを全く知らなくても、人それぞれの感覚で楽しめる作品になっていると思います。
「そうだと嬉しいですね」
――あと、O-EAST公演(『Helsinki Lambda Club 10th Anniversary Tour「ヘルシンキラムダクラブへようこそ」』)で「Be My Words」をやっていた時に、そのライブにゲストで参加していた方々も全員ステージに上がっていたと思うんですけど、柴田聡子さんがパーカッションの石崎元弥さんにマラカスを借りて演奏していて、そういうヘルシンキが広げた場でメンバー以外の人たちの些細なコミュニケーションが生まれているのもテーマパークっぽいなと。
「あの空間はみなさんのおかげですね。そういう意味でもアルバムのテーマパークっぽさは立体的になったかもしれないです。人とあった10年間の歴史というか」
――あと、配信シングル「スピード」(2023.4.5 release)と、アルバム1曲目の「台湾の煙草」は歌詞だけが違う作りになっていて、橋本さん曰く2曲がパラレルワールド的な関係性なのも面白いです。「スピード」は割と満たされている状況にいる登場人物が、人生の終わりには予測がつかないことに急かされている感じがあるけど、「台湾の煙草」では自分の思うように進まない人生を送っている登場人物が、終わりが見えないことにやや絶望しているみたいな。「Good News Is Bad News」的な世界観でもあり、実は成り立ちに深い意味があるアトラクションみたいな曲だなと思いました。
「いい切り口です。そういうのも楽しんでもらえると嬉しいですね」
――「台湾の煙草」はわりとご自身の現状も乗っかっていると思うんですけど、それに気がついたのには理由がありまして。結成9周年の時にPOOTLEで行なっていた写真展『Helsinki Lambda Club 9th Anniversary EXHIBITION』を拝見したら、メンバーで集まって煙草を吸っている写真があまりに多くて(笑)。でも、“いつもこうやって話しているんだろうな”と感じた記憶を思い出して繋がりました。
「あははは(笑)。それが繋がるんだ。やっぱり作り終わったあとに、ちょっと難しかったかなとか、もっと分かりやすさが必要だなと思うんですよ(笑)」
――分かりやすさのイコールってわけでもないですが、「バケーションに沿って」はヘルシンキ流のJ-POPということで。
「そういう意味で言うとカッコつけてないというか、これまでに学んだことを素直にアウトプットしてると思います」
――ネタが分かりやすい曲で言うと、「Chandler Bing」はその名の通り、ドラマ『フレンズ』の登場人物であるチャンドラー・ビングを歌った曲ですよね。個人的には『フルハウス』派だったので、これを機に『フレンズ』を見始めようかなと思いました。
「『フルハウス』っぽいマインドも入ってると思います(笑)。サンフランシスコの坂を路面電車で降りていくみたいな、ああいう90年代の陽気さ。僕も幼少期は『フルハウス』派だったので」
――チャンドラーのキャラクターを知っているともっと楽しめる曲だとは思うんですけど、《逃れられない遺伝子と心中しよう》は聴いていてハッとするフレーズに感じます。諦めもあるけど、絶望ではないみたいな。今の橋本さんっぽい気がしますね。
「なるほど。アルバム作り終えて、なんだかんだ一番自分にしっくりくるのはこの曲な気がしてますね。ぜひチャンドラー本人にも知ってもらいたかったな」
――「Horse Candy」はこれも時代性がある曲なので、もっと時間を経て、時代が変わった時にどう感じるのかも気になります。あと、やっぱり楽曲の危なっかしい高揚感がいいですね。
「これも気に入っている曲です。正しさとは違ったものがテーマになっていて、結構分かりやすい表現ではあると思います。書きたいことを書いているだけで、最終的には何かを狙って書いているわけではないんですけどね。今回のアルバムには裏テーマみたいなものがあるんですよ。自分自身が好きなアルバムとか、好きだったバンドのことを考えた時に、だんだん音楽としてすごいことをやり始めて、それを素直に“いいな”と感じる反面で、“その技術がある中でキャッチーなことをしてくれたらめっちゃ嬉しいのに”と思うことがよくあったなって。ヘルシンキはまだ下手くそなんだけど、いろいろと得た10年間の締めでまたキャッチーなことをやったら、聴いている人も嬉しいんじゃないかな?みたいな視点がありました。でもまぁ……今振り返るとそこまでの曲はないですね(笑)」
――そんなことないと思いますが。
「根底には“俺みたいなものが、そんな大それたものが作れるわけねえだろ”っていうのが当然ある。これは卑下じゃなくて、珍しいものができるわけがないってフラットな状態で思っていて、それでもズレてしまうとなると、ただ真っ直ぐにやるしかないと思ってます。自分を上に置くような話し方になっちゃうのも嫌なんですけど、分かりにくい曲になっていても、みんなとコミュニケーションを取りたいと思う気持ちはずっとあるよっていう。なんとなく、聴いてくれている人たちの中には思慮深い人も多いと思いますし」
――ヘルシンキのリスナーの中には、一筋縄では表現できない音楽性を楽しんでいる人もいると思いますが、初めてハードロックに近づいた「Golden Morning」も面白いです。ハードロック調かつ日本のお祭りを想起するサウンドで、街はドンドコ盛り上がっているのに、曲の登場人物はイマイチ乗り切れていないというがシュールだなと思いました。
「確かに。そこはハードロックとは視点が違うと思いますね。そういう意味で言うと、どんな曲調をやろうと、どうせ自分たちっぽくなるなという自負はありますね。特別自分が個性的とは思わないけど、だからこそなんとなく辿り着くものがある」
――「愛想のないブレイク (with FORD TRIO)」も謎めいていて、アルバムの中でも異彩を放っていますね。交信している描写に思えるけど、すれ違っているようでもある。
「この曲も作った時にはすごくキャッチーに聴こえていたんですけど、伝えることの距離感の難しさを知ったというか。こういうのを“もっと楽しんでもらってもいいのにな”と思ったけど、人にとってよく分からないものって近寄りがたいというか、怖いと感じるのかな。自分は分からないものとか知らないものにワクワクするタイプだから、それを当たり前のようにやってきたけど、現代を生きる人たちって分からないものに手をつけづらいのかなって肌で感じたりもしました。また不満っぽく聞こえちゃうかもしれないけど、アルバムの出来には満足いってます(笑)」
――人に伝えるためのキャッチーさを追求したアルバムでありながら、払拭できない運命にある橋本さんらしい仕掛けを発見できるのも、このアルバムの聴きどころだと思います。例えば「ベニエ」の最後の《やっとあげた花束は枯れても/私の心はあの時のままよ》って「マリーのドレス」のことかなとか。
「そうです。続編というか、もしかしたら「マリーのドレス」の登場人物と一緒かもしれない。そういうのが好きなので自分の中では繋げているけど、そう思った人がいたならそれでいいという感じで、自分の中で楽しんでいる節はあります」
――そう思って聴くとよりドラマを感じますね。橋本さんが書くラブソングは相手が気づいていないところで始まって、密かに終わってしまっているのがいいなと。
「一人になった時に思い巡らすことが多いからですかね」
――そんなふうに考えながら嗜む曲もありつつ、「See The Light」は一番に音で聴くことに魅力があって、なんとも形容しがたいのですが、今後のバンドへの期待感が高まる感覚がありました。
「バンド感というか、生の説得力があって「NEW HEAVEN」より伝わりやすいかもしれないですね。人間をパッケージした感じではあったかな」
――橋本さんが初期によく意識されていたバンドのバランスを、この曲では重要視しなくても成り立っているように思えますが、そういう観点でご自身の変化は感じますか?
「その時のバンドの状態で書く曲も変わっていると思うし、自分がどういうバンドをやりたいのかを常々再確認してやっているから、僕自身が変わったところは多いのかな。自分ではあんまり分からないけど。日々いろいろと思うことはあっても、今はそれも突き詰めると感謝に行き着くというか、そこで動いている感じがあります。こんな時代だからっていうのもあるけど、今は仲間の尊さみたいなのを感じて曲ができていると思う。20代の頃とか、自分がバンドに憧れて音楽をやっていた頃の雰囲気だと、音楽を作ることって身を削ることで、幸せになることを放棄して、苦しんで作ったものが尊いみたいな価値観があったんですよね。自分はそういうものから徐々に脱却していったというか、音楽に対する向き合い方の価値観が変わったのかもしれないですね。正しさっていう物差しでだといろんな尺度があるし、常に自分の中のベストを尽くすだけでしかないというか。なんか、こう言葉にしてみると難しくて、実際の感覚から遠のいていくんですけど」
――橋本さんは「収穫(りゃくだつ)のシーズン」のことを、自分でも理解が追いついていない曲とおっしゃっていて、この10年間で分かったことも多いけど、まだ掴みきれていない感覚がこの曲を生んだのかなと今思いました。
「うん。自分の核心に迫ると遠ざかるっていうのがこの曲の歌詞でもありますね。この曲は作るのに結構苦労して、自分ではあんまりしっくりこなかったんですけど、なんでしっくりこなかったのかは音楽的なアプローチの仕方が大きいのかな。この曲は謎なんですよね。《チューチューリーダッタ》とかも意味が分からないし、こういう言語化できないものを無理やり形にするっていうのが僕の音楽でもある。感情って全部を言葉にできるわけじゃなくて、確信に近い表現をできた時に喜びを感じるけど、その次はその先にある感情を追い求めていくことの繰り返しで」
――今のヘルシンキを<黎明期>と表現すると、一つの着地点的にいるような受け取り方もできますが、その一方で橋本さんが自分の中で解釈できていないものがあるという状況を知って、今後はどんな曲が聴けることになるのか楽しみになりました。
「そういってもらえると(笑)。ここ最近、なるべくして音楽を仕事にしているんだろうなって思うようになってきたんですよね。今までの人生を振り返って、“前からこういう節があったよな”とか、今の過ごし方が腑に落ちるような。歳をとって、30を超えていろんな物事が人生の伏線だったなと思うことが出てきたから、ここからはそれを自覚して、どうやっていくのかが楽しみではあります。他のヴォーカリストとは違うスタンスかもしれないけど、10年くらいやらないと何が人と違うのかって分からないのかもしれない。アルバムのタイトルで“ようこそ”って言ったのも、それだけいろんなものを触ってみてきて、何が違って、何が同じかっていうのが見えてきた中での提示だったかなと。人より時間はかかったかもしれないけど、気持ちとしては“ここから”って感じなんですよね」