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Special Contents

"たまに君のことを思い出してしまうよな"

この一文から思い浮かぶ、あなたにとっての"君"とは何ですか?

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あのとき、買った洋服。

君とのデートを想像して、

選んだ洋服。

あの日あの場所で着ていた洋服。

良い思い出も苦い思い出も詰まってる洋服。

初恋の相手

学生時代に好きになった相手。

告白してだめだったけど、

結婚して幸せな時に

ふとたまに

あの人も今幸せだろうかと思い出してしまう。

片思いした人

付き合ってないのに誕生日を祝ってくれたあの人が忘れられないです。

その日は前々から予定に書いてくれていて普段作らない料理を作ってくれて

ケーキも一緒に作る約束だったのに俺がするって1人で作ってくれました。

その後もあの人とはしたことないドライブをしてくれて、

いつもは暗闇でしか見ないあの人の顔を

こんなにも長く見れたことが嬉しかったです。

 

もう一生会わないと決めたけど、

まだ、思い出しては涙が出ます。

"たまに"ではないかもしれません。

学生の時に好きだった人

彼の口元にあるほくろが大好きだった。

付き合ってるのか付き合ってないんだか

曖昧な関係だったのが今思うと気持ち悪い。

でも、彼の言った「笑顔が天使だよ〜、もっと笑ってよ」の言葉が

自分の笑顔が好きじゃない私の支えになっていたりする。

1年前は一緒にいた恋人

泥酔で電話をかけたとき、

夜中にお迎えを頼んだとき、

君のご飯を食べたいとお願いしたとき、

思わず泣いてしまったとき、

怒ったとき、

情けない姿を見られたとき、

君なら笑って、

「そういうとこもっと教えて」

って言ってくれるのになと、

思ってしまいます。

思っていることがあっても、

何も言わずに我慢して

いつの間にか忘れたフリをしていた君。

もう少し早く気付いて、

向き合っていたかった。

今思うと、君は優しいけど、

ただ、聞き分けが良いってだけだったような気がしています。

今でもたまにこうして、

君のことを考えています。

タバコを吸っていた今まで好きだった人たち

好きという言葉で表せば、

同じようなものだけれど、

同じものからも、

その瞬間の季節気温匂い場所音楽感情で

違う人を思い出します。

煙草で思い出す、私のライターを勝手に使う君や、

暗い部屋で火をつける瞬間だけ顔が見える君、

同じ銘柄にしようと一箱買ってくれた君、

煙を鼻から出す私を見てニコニコしている君、

煙草を吸っている最中にキスをしてくる君、

煙草は絶対吸わないと言っていたのに

上京して吸い始めた君。

煙草は日常なのに、

たまに君を思い出すよ。

高校生の時の彼氏

木枯らしの吹く夜に実った恋。

君のことしか見えていなかったあの頃の思い出は

肌寒い季節が訪れると

きらきらと星のように私の心の中で輝きはじめる。

1日だけ戻れるなら、

もう一度君と一緒に帰りたいな。

ひとつ年上だった元彼

19歳。半袖が涼しかった。

君の部屋はすごく狭かったけれど、

君の部屋に置いてあるギターのストラップは虹色で、

鮮やかな空柄のカーテンがぶら下がっていて、

ふたりのこれからは何処までも広がっているような気がしていた。

小さな洗濯機が置いてある狭いベランダで、

使い捨てコンロが主役のバーベキューパーティーをしたりなんかもした。

写真は全部消したけどフィルムだけが残ってる。

あの日の記憶が蘇る。

君は今どうしてるかな、

今でもふと君のことを思い出してしまうよ。

ジャワティ

ジャワティが大好きでジャワティを見つけたら買ってしまうんだけど、

ふと飲みたい時に

近くの自販機やお店で売ってないというレアリティがジャワティにはあって、

ジャワティを見つける為に探し回ってしまうことになる。

ちなみに好きなカレールーはジャワカレージャワ(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)

大学時代に大好きで片想いしていた先輩

ハーゲンダッツのバニラ味を見るたびに思い出す人がいる。

念願の第一志望の大学に合格し、

浮き足だってた4月。

入学前から夢に描いていた軽音学部の新歓で、

好きなバンドのコピバンをしていた3年生の先輩。

ギタボでフロアを沸かし、

心から楽しんで演奏する姿を見て、

この部活に入ると決めてギターを始めた。

多分一目惚れだった。

不純な動機だったけど、

この部活に入って大正解の4年間だった。

入部後に彼女がいることを知り、

一度は気持ちを封印した。

先輩は部活も勉強も頑張る人で、

自分も少しでも近づきたくて資格を取った6月。

部室のまわりでギターの練習をしていたら先輩が来て、

「資格取れました!」って伝えた。

しばらく経ってからハーゲンダッツのバニラ味を

「はい!頑張った子にはご褒美をあげなきゃね」って急にくれた。

嬉しくて嬉しくて、

こんなにも甘くておいしいハーゲンダッツは初めてだった気がする。

アイスの表面もにっこりマークに見えた気がする。

その後夏合宿では同じバンドを組んだり、

秋には2人で私のギター買いに行ってくれたり、

春には浅草へ食べ歩きに行ったり、

2人で映画を観に行ったりしてくれた。

先輩はとっくに彼女とお別れしていたけど、

勇気が出ずにそのまま卒業してしまった。

ギターがとても上手でかっこよくて、

芯があって、とても優しい先輩が大好きだった。

先輩の卒業後の追いコンで

「先輩が1番の推しでした」

と伝えるのが精一杯だった。

私も大学を卒業して、

社会人になってからもしばらく好きだったと思う。

多分、人生で1番大好きなだった人だと思う。今は。

想いは伝えられなかったけど、私の大切な思い出。

先輩が部活も勉強も頑張る人だったから、

私も勉強を頑張って、

就職も目指していたところに決まった。

社会人になり5年目になるが、

仕事終わりにコンビニにアイスコーナーを見る度にふと思い出してしまう。

ハーゲンダッツのバニラ味を見る度にふと先輩を思い出してしまうけど、

いつかまた会えた時に仕事頑張ってますと伝えられるように

今も毎日頑張っている。

君と呼ぶのは変だけど、遠くに暮らす両親

ショッピングセンターでアルバイトしているとき、

楽しそうな家族連れや親子で

お買い物をしている人たちをみては心の中で「良いな〜」とか

「私もそういう幸せな時があったんだな〜」

ってしみじみ思う。

だから帰省して一番最初にやりたい事は家族でお買い物行くこと!

って言って時間作ってもらってます。

離れて暮らすことで家族の大切さやありがたさに気づいてる。

東京で出会ってそのまま遠距離恋愛をした元カノ

東京のライブで出会って、

一気に意気投合して、

福岡に住んでるけどそんなこと関係なかった。

最初から遠距離恋愛で始まる恋だったけど、

二ヶ月に一回東京に行く時間がとても大事で楽しくて。

でもだんだんお互いの時間が合わなくなって別れてしまった。

僕はとても好きだったけど、

そんな気持ちは東京まで届くことはなかった。

毎回帰る時に別れていた東京駅八重洲北口。

悲しくて泣いてしまうこともあったけど、

次また会えると信じ切っていた。

もう未練はないけれど、

東京駅八重洲北口にいくとなぜか思い出してしまう。

あの頃とはもう違う自分がいる事まで思い出してしまう。

高校時代の好きな人

最初は友達の友達で、

たまにノートを借りにくるくらいの仲だった。

それが間を埋めるための何気ない質問で、

好きなバンドが一緒とわかってから、

一気に仲良くなれた気がした。

二人とも松本大洋が大好きでピンポンを読んでいて、

レザボア・ドッグスにハマってて、

好きな本も、趣味も、

他の同級生とは合わなかったような話題までその人とは話せた。

勧めてくれた映画やバンドはどれも今の私に欠かせないものだ。

高校を卒業し彼が県外にでてからも、

頻度こそ落ちたが連絡を取り合い、

映画も、民藝展だって一緒に観に行った。

たった一回、八月に欲張って気持ちを伝えなかったら、

今も変わらず関係が続けれていたのかもしれない。

しれないけれどもう遅い、多分。

好きなバンドはどれも彼との会話が詰まっているし、

電車に揺られる度、彼に会うため乗ってた鈍行列車の景色が浮かぶ。

サカナクションが復活したね、

MNAとHLCのツーマンがあるよ、

憐れみの3章もう観た?

話したいことばかり溜まってく。

好きな曲をかけたら、

ふふ、と笑う彼の姿がさも本当にいるかのごとく見えてくる。

映画も本も音楽も、趣味の殆どをさらけだしてしまったから、

の日常には今もその人がいる、気がするだけ。

花の名を教えられるよりも鮮烈に、

その人の記憶が焼きついている。

高校時代の友人

控えめで静かだけど芯があって、

私の話をいつも楽しそうに聞いてくれてた彼女。

学校帰りわざとバスに乗らず1時間半おしゃべりしながら歩いたり、

五百円だけ握りしめて遠い街まで冒険に行ったり、

バカなこといっぱいしたね。

社会人になって疎遠になって、

誘うと嬉しそうにしてくれるけどそっちから誘ってくれる事はほぼなくて。

迷惑なのかな?なんて考えちゃってるうちに

結婚で住む場所もバラバラになって。

あまりに受け身な貴女に

ちょっと意地になってたのもあるのかもしれない。

少しの後悔と懐かしさと、

連れて行ってくれたブルーハーツのライブで

金切り声をあげて飛びまくってた貴女の姿を思い出したりして

時々会いたいな、なんて思ってしまうのです。

仲が良かった異性の同僚

匂いってすごいなって思います。

すごく人として好きな同僚がいました。

私が勧めた音楽も聴いて帰ってくれたりするような優しい同僚。

いつも甘い香水をしていました。

突然退職する形になってしまって、

連絡もとれなくなってしまいました。

嘘みたいな話なんですが、

記憶喪失になられたそうです。

私しかあの楽しかった思い出を覚えてないのかという

寂しさと心配でいっぱいでした。

月日が流れて胸の奥にそっとしまって、

毎日を過ごしていました。

とあるライブハウスで彼と同じ香水の香りがしました。

きっと彼に勧めた音楽や話していた内容でまた思い出すと思います。

保育園の時履いていたスカートパンツ

保育園に通ってた時、

1番のお気に入りだったスカートパンツ。

私のお母さんは、子供服のブランドがめっちゃ好きで、

高い服いっぱい買ってくれたんですけど、

私は西松屋のスカートとズボンがくっついているスカートパンツが1番好きでした。

 

でもある日、こけて破れてしまってもう履けないのに捨てれずにいました。

違うスカートパンツ探しに行ってもなにもときめかなかったです。

 

正直色や形は思い出せないけど、

もう一回戻りたくなりますね。不思議

叶うことのない恋の相手

今の時代だからこそある恋なのかもしれない。

君とはお互い音楽が趣味で繋がったね。

顔も知らないし会ったこともない、

でも毎日DMでお話しや通話をして

確実に私は君の人柄と優しさと面白さに惹かれていました。

元々がネガティブ人間な私に

いつも楽しくお話しをしてくれて励ましてくれて

時には褒めてくれて。

君は私の中でどんどん大きな存在になってて、

私の日常に君が居るのが当たり前になってたよ。

君はギターがとても上手だったね。

通話越しに弾くギターの音がすごく大好きだった。

白いテレキャスに茶色のストラト。

どちらのギターも君にすごく似合ってたよ。

ずっとこんな日が続いて欲しいって本気で思ってたのに、

ある日、急に連絡が途絶えてアカウントも消えてた。

どこかで終わりが来ることは分かってたけど

本当に来ちゃうなんて悲しかったなぁ。

何も知らないし、始まることのなかった私の恋だけど

確実に毎日君には救われてたよ。

君が弾いてた音楽を聴くたびに君を思い出す。

元気にしてますか?笑ってますか?幸せですか?

ふと君のことを思い出してはあの日々を懐かしく思うよ。

またいつかどこかで君と巡り逢えたらいいなぁ。

仲違いした友人

いつも一緒にいたけれど

些細なことで距離ができてお別れをしなければならなくなって

周りの人たちが友だちとワイワイはしゃいでるのを見ると

何かと思い出して切なくなったり悲しくなることもあります。

かつては隣に確かに存在していたんだなという事実が

朧気な記憶として思い出します。

学校をやめた17歳の夏、出会った人

この間、教えてくれたあのバンドのライブに行ったよ。

ライブハウスの人混みの中、君がいないかずっと探してた。

CDは何枚か持ってたけど好きなバンドではなかった、

でもなぜか行こうと思ったの。

カラオケで君がいつも歌ってたあの曲を聞けたのはちょっとだけ嬉しかった、

いつも誘ってたのは君の歌声が大好きだったからだよ。

一緒にライブを見に行ったバンドは解散しちゃったけど、

私の安いギターは実家に眠ってるけど、

気だるい私の趣味はずっと変わらなくて、

好きな曲はあの頃のままだよ。

君が今どんな歌を聴いてるか、

どんな歌声をしてるか私は何も知らない、

それがとても寂しかったけど、

もうお互い子供じゃないし。

あの頃なりたかった自分だとは思えないけど、

そこそこいい大人にはなれたと思うよ。

望みすぎかも知れないけど、

一度でいいから君もどこかで私のことを探してたらいいな、

そう思います。

色んな「好き」を教えてくれてありがとう。

貸してくれたつげ義春の本は今も本棚にあるよ、

気が向いたら取りに来てね。

小学四年生の時に好きだった男の子

なんで仲良くなったのかは全く覚えていないけど、

社会科見学の日のことをすごく覚えている。

背の順が近くて見学中もずっと喋っていたこと、

集合写真を撮るときに企業の旗を持つことになって、

その端と端をこっそり引っ張りあったこと、

行きのバスでは違う席にいたのになぜか帰りは隣に座っていたこと、

なぜか話した内容も思い出せる。

学年が上がってからも中学に入ってからも

ほとんど話さなくなったしSNSも一つも知らないけど、

彼のことを好きだったこととそれがすごく楽しかったことは

ときどき思い出してしまいます。

なまえとかすら、好きだったなー

To me, it means the process of healing from grief.

I've been rapidly going blind since I was 18. I have no time to grieve my losses, however.

I have classwork, I have exams,

I have a job I must go to each week, and I have no time to process how fast my world is slipping away from me. Most days,

I'm okay with this. I call it running, running from the things I'm not yet ready to confront.

Sometimes the grief waits behind a spilled cup of tea or a dialogue option in a game, and on those days it emerges and attacks with a vengeance.

I find my thoughts are consumed by the me I could have been, and my heart is filled with a nostalgic sort of pain for the young girl I see in my memories;

she has no cane to guide her through the shallow waters of the beach as she searches for shells.

The sand is cool between her toes and I hear her shrieks of laughter,

though day by day her face fades from memory.

1番好きだった元カレ

ディズニーシーのハンモックで

あんなに楽しそうに遊んでやってみなよとゆってきた君。

初めてのディズニーでは1日中手を繋いで隣で過ごして

ドキドキと君の笑顔で胸がいっぱいだった。

いまも忘れられない誰ときても思い出してしまう。

好きなバンドの人

コロナ禍前の2020年1月に行ったライブで最初で最後に見た。

あれから一度も東京に行ってない。また会えるかな。

もう亡くなった猫のじーじょ

僕が産まれる前から家族の一員だったじーじょ。

彼は度重なる環境の変化の影響か少し気が荒い猫だった。

僕がまだ幼稚園に行ってた頃、

お風呂に変な虫が出たと集まっていく家族とは別に

僕はじーじょを膝の上に乗せていた。

しかし何が引き金になったのか

彼は僕のおでこ(ほぼ生え際)をガブッと噛んだ。

赤い血がツーと僕の顔を流れる。

事態を理解した僕は大声で泣いた。

他にも一緒にソファで寝ていたら下唇を噛まれたり、

そんな思い出ばかりが浮かぶ。

ある日、姉とコンビニにおつかいに行こうと靴を履いていた時、

母が少し焦ったように僕たちを呼んだ。

じーじょに元気がないとのこと。

そういえば最近押し入れから出て来ることが少なくなった気はしていた。

まだ幼かった僕は病院に行けば大丈夫だろうと思っていた。

しかし母も姉も連れていく素振りはなく

じーじょを心配そうに見つめるだけだった。

そこで僕は悟った。

お別れなんだ、と。

じーじょはみんなの事が見えるダイニングテーブルに

そっと寝かされ最期までの時間を過ごした。

まだ大事な何かを無くした事がなかった僕には実感が湧かず、

次の日じーじょが息を引き取って初めて大声を上げて泣いた。

たくさん噛まれてたくさん引っ掻かれたけど、

じーじょがいる生活が僕のあたりまえで、

それがなくなってしまったことを受け止めきれなかった。

それから十数年。

今はまた別の猫2匹が僕の家族にはいる。

彼らと少しでも長く一緒にいるために一人暮らしは選ばず、

片道電車で2時間かけて大学に通っている。

将来の不安や交友関係の悩みで

生きているのが嫌になる瞬間があるけれど、

じーじょが見てると思うと

心配させる訳にはいかないなと前を向ける。

もちろん今を生きるためにも

"君"に縋り付くようなことはしないよ。

でもあの頃の思い出をたまに思い出して元気をもらって、

今の大切さを噛み締めているよ。

ありがとう。またね。

元カノ

高校を部活に打ち込むために選んだ私。

中学卒業時に自分が妨げにならないよう別れを告げた君。

それを知ったのは20歳の冬だった。

成人式を次の日に控えた私は、

酔っ払った帰り道、

もう少し夜風に当たりたくて、

普段曲がる道を真っ直ぐ進んだ。

そこで、偶然にも君と再会した。君も通る道ではないのに。

公園で話すことになり、

昔一緒に帰った道を2人で歩いた。

思い出や当時の心境、現状や将来のこと、

知りたかったことを全部聞けた。

私は君にずっと愛されていたということも。  

帰り際、

君がふと「ここで結ばれる未来はあったかな」

と私に尋ねる。

私は強がり、「一緒の未来は歩けなかったんじゃないかな」と。

「これで会うのは最後だね、元気で頑張ろうね」

と抱擁をして別れた。

それから月日が経ち、一度も会うことはなかった。

いつまで経っても未練がましい私と反対に

君は先日、結婚した。

おめでとう。

私には叶えられなかった未来も君は新たに描いていける。

どうか幸せでいてください。

愛する事を教えてくれた君。

あの頃が一番幸せだったと言ってもいいだろう。

君と過ごした時間が今も心の奥底で輝いている。

思いやりがあって、誰より優しくて、

少し抜けてるそんな君が大好きだった。

どんな些細な事でも君と一緒なら楽しめて、

こんなに人を好きになった事は初めてだった。

おじいちゃんおばあちゃんになるまで一緒に居ようなんて言い合った。

しかしこの願いは叶うことはなかった。

君の内に秘めていた夢、音楽への道。

そばにいてほしい。

そばにいるよ。

今日は練習があるんだ。

また今度にしようか。

ごめんね。

いいよ。

本当にごめんね。

全然いいよ。

 

険しい道である事は分かっていたはずなのに、

小さな歪みがチクチクと痛んだ。

ふたりとも感じ始めていた。

以前と同じではいられない、と。

彼の邪魔をしてはいけない。

彼女を好きなところへ連れて行くことさえ出来ない。

彼を応援したい。

みんなに追いつかないと。

相手を想う気持ちと自分がすべき事。

お互いに考え、答えを出しました。

決断の日、

海辺にて時間をかけて話しました。

私たちは私たちのために別々の道を歩むことに決めました。

重い空気の中私は切り出す。

 

よし、今からデートしよう!

細かいこと忘れて楽しもう!

さよならデートしよう!

君は少し驚き、

すぐに微笑み頷いた。

また行こうと話してたゲームセンター、

何度も撮ったプリクラ、

行きたかったごはん屋さん、

観たかった映画。

楽しくて久しぶりに何も考えず笑い合った。

 

あっという間に時間は過ぎていった。

 

今日は本当にありがとう。

こちらこそ今まで本当にありがとう。

夢、叶えるから。

うん、応援してるよ。

じゃあね。

じゃあね。

 

握手をしてさよならした。

 

"たまに君のことを思い出してしまうよな"

私が思い出すのは君です。

君が思い出すのが私なら嬉しいな。

好きだった人

あの日、余ってしまったライブチケット4000円が惜しくて彼を誘った、

誰でもよかった。

学科が同じ彼がバンドが好きなことだけは知っていた。

二つ返事で快諾してくれたライブ終わり、

スカイツリーまでたくさん歩いた。

散歩がデートになる人だった。

彼の話す言葉が心地よかった。

簡単に好きになった。

神保町で食べた海苔トースト、

共有した春のプレイリスト、

大学サボって行った江ノ島、

貸してくれた舞城王太郎、

最前列で観た『街の上で』、

飛行機逃して4バンドしか観れなかったライジングサン。

全部楽しかった。

こうやって文字に起こすと、

すごく大学生みたいなことしていてほかほかした気持ちになる。

とても好きでした。

生活でした。

でも、あの日に戻れるなら彼じゃない誰かを誘うと思います。

一目惚れした人

21歳、人生で初めて好きな人ができた。

年上で頭も良くて顔もタイプ、

女の子の扱いに手慣れている感が否めないけど、

そこがよかった。

好きな音楽の話になって、

私は大好きなバンドヘルシンキをおすすめしました。

「人が行き来するMVのやつ見たよTime,Time,Time?いいね!」

ちゃんと聴いてくれてた。

当時ちょうど新曲だったので

検索で上に上がってきたやつを聴いたのかなとか思いながら、

嬉しくてたまらなかったなあ。

おすすめの曲をプレイリストにして送ったっけ。

初めてのヘルシンキのライブを見る君を隣で見たかったけれど叶わず、

君が初めて見たヘルシンキのライブはTime,Time,Timeはあまりライブではやらない頃だったね。

当時の思い出がやがてなかったような気になった。

今は、新しいお気に入りの曲がプラスされたプレイリストだけれど

開くたびに君のこと思い出しちゃうな。

大っ嫌いな変人野郎が作るまかない飯「ビーフシチュー」

高卒で旅館の板場に就職し、

驚くほどブラックな職場で人間関係も最悪だった。

私の中で一番苦手な人がいた。

挨拶は無視してあたり前、急に怒鳴り散らし物に当たり大きな音をだす。

かと思えば急に笑顔になり冗談混じりで話しかけたり笑ったりしてくる。

掴めない、、不気味で変人野郎だった。

 

その大っ嫌いな職場で唯一の楽しみがまかない飯だった。

なかでもとくに、変人野郎が作る「ビーフシチュー」が最っ高に美味しかった。

お肉はホロホロでワインの効いた濃い味付け、

トッピングに茹でブロッコリーとゆで卵。

見た目も味も素晴らしい!!!

 

私の中で変人野郎が作ったビーフシチューは

生涯忘れられない味になるだろう。

(私の中で謎のプライドが邪魔をしてレシピを聞くことはできなかった、再現はできないのだ)

 

その職場は2年で退職した。

退職理由を音楽をやりたい、新しい道に進みたいと上司に伝え承諾してもらった。

 

結局、一歩を踏み出せず同じような調理業界に就職し今に至るが、

たまにあの人が作る「ビーフシチュー」が無性に食べたくなるときがある。

P.S.

私の尊敬し敬愛するフォークシンガーが変人野郎の見た目にそっくりなのは少し悲しい。

お洒落が好きで、

よくヘンテコな服を着ていたり、

料理が好きで、

よく子どもの口に合わない魚料理を作ったり。

節々で変わっているなと思っていた父は今思えばユーモアに溢れていて、

今自分が憧れるような人間だった。

路頭に迷ったとき、悩んだとき。

楽しいときは全く思い出さないのに、

そういうときにふと思い浮かべてしまう。

父ならなんて声をかけてくれるだろうか、と。

もしもう一度会うことができるなら、

お互いに何を伝えるだろう。

決していい父親だったとは言えない別れになってしまったけれど、

思い出してしまう"きみ"はどうしても父で。

もう一度、

もしそんなことがあるのならば、

あの時散々変だと言った服が今欲しいということ、

あの時美味しいと思えなかった魚料理が今は大好物なこと、

そしてあなたの娘が私でよかったね、と、

嫌味たっぷりに伝えたい。

初恋の人

中学3年生のときにはじめてスマホを買ってもらった。

けど、外には持ち出せなくて連絡が取れるのは家の中で、

その子から連絡が来ると自分の部屋に篭って連絡していたくらいだったが、

卒業と同時にその子と離れ離れになってしまい、

その子のInstagramのストーリーを見ると彼氏がいた。

父親

今年の夏、父が他界しました。

父親が夢に出てくる事は頻繁にあるけど、

最近も生前の姿で出てくるけど、

夢の中で会話した後に「ああ、お父さん死んじゃったんだっけ」と

夢の中で思い出して目が覚めます。

高1のとき前の席に座っていたAさん

高1のとき前の席に座っていたAさんは、

高2高3でクラスが離れても、

廊下ですれ違ったらいつも笑顔で挨拶してくれた。

クラスの中心の方にいて、

キラキラしているのに、

どこかで微かに闇っぽい部分も感じる人だった。

でもロックバンドの趣味が合ったし志望大学も似ていたから、

たまにLINEで

「このバンドも好きなの!?」とか

「模試難しかったな〜」とか

他愛もないやり取りをしていた。

いつも、なんで自分に優しくしてくれるんだ?と思いながらも、

Aさんには恋人がいたので変な勘違いに陥ることもなく、

たまに挨拶したりLINEしたりしていたら、

あっという間に受験シーズンに突入した。

自分は目指していた大学に落ちて滑り止めに進学することになり、

Aさんは見事合格していた。

自分の不甲斐ない結果をどこからか聞きつけたのか、

AさんがLINEでお互い大学生活頑張ろうとメッセージをくれた。

どこまでも良い人だなと思い返信したが、

その後AさんからLINEが来ることはなく、

自分も始まった大学生活に浮かれ、

Aさんを思い出すことはほとんどなかった。

それから時間が経ち、

終わりの見えないゼミ研究やサークル内の軋轢、

理不尽な就活を乗り越えた大学3年生の暇な時期に、

何気なく「若い時にやっておくべきこと教えて」みたいな

インスタのストーリーを上げた。

Aさんから「〇〇(当時知らなかったバンド)の⬜︎⬜︎を聴く」と返信が来た。

長らく連絡は取っていなかったので本当に驚いたが、

とにかくすぐに聴いて、震えた。

高校時代、失敗したり挫折したりする未来なんて

想像できていなかった自分にすごく刺さる曲で、

でも暴力的なぐらいどん底から人生に寄り添って応援してくれる曲だった。

Aさんが大学入学後、

留年したり恋人と別れてしまって順風満帆でないことはなんとなく知っていた。

なんでこのタイミングでこの曲を教えてくれたんだろうとか考えて、

LINEを送ろうとしたけどキモいなと思ったし

変わってしまったAさんと相対したくないなというエゴでやめた。

でもあまりにこの曲がすごくて、

その後もキツいときや何もやる気が出ないときによく聴いていた。

バンドの他の曲も聴くようになり、

ようやく知ってる曲が増えてきた頃、そのバンドは突然解散した。

そんなことが起こるはずはないけど、

いつか一緒にライブに行ってみたいなとか思っていたから、

Aさんとの繋がりが消えたような気がして、

でもSpotifyのランダム再生で

このバンドが再生されるとふとどこかでAさんを思い出す。

もう会うことはない気がするしお互い色々変わってしまったけど、

たまに勝手に高校生の君のことを思い出してしまって胸がキュッとします。

高校のときに組んだちがう高校のバンドメンバー

友達の紹介で出会った音楽の趣味会う友達で、

ライブに行ったりお互いの文化祭に遊びに行ったりした。

君は大学受験に専念するといって

ライブにもいかなくなってSNSもやめて

だいすきなギターも歌うこともやめた。

すごく寂しかったけど、

誕生日にくれたブレスレットや

クリスマスにくれた連絡がうれしかった。

12月生まれのきみのプレゼントを考えるのも楽しかった。

きみががんばった大学合格を報告してくれた。

そのころから頻繁に連絡をとるようになった。

そんなときバンド組まない?このライブで披露したいんだ。

といってくれた。

ふたつ返事でバンドを組んだ。

ずっとバンドを組むことが夢だったわたしは

きみにバンドに誘われてとてもうれしかった。

ずっと忘れない。

きみはギターボーカルわたしはドラムあとはベースだ。

わたしの同じクラスの男の子を誘ってみた。

そしてわたしたちはスリーピースバンドを結成した。

わたしは超絶ドラム初心者だった。

でもわたしたちのバンドのためならがんばれた。

ドラムセットを親に借金をし買ってもらった。

毎日毎日練習した。

こんなに一生懸命になれたははじめてだった。

そんな自分になれたことがうれしかった。

それから三人で卒業式の前日も卒業後もたくさんたくさん練習した。

人見知りなきみもがんばってベースの子と話していた。

ライブ前日急遽きみがつくった曲を翌日のライブで披露することになった。

ボイスメモで聴いたきみの弾き語り、とてもすきだった。

いまでもずっと聴いている。しかしライブ前日だ。

不安しかなかった。ライブ当日も早朝からスタジオに入った。

でもきみはこなかった。体調を崩しちゃったんだね。

きみは大事な予定の前はいつも体調を崩してたね。

スタジオ練習残り三十分、Bスタジオの思い扉が開いた。

そこからぶっ通しで練習し続けた。

そのまま三人で電車に乗ってライブハウスへ向かった。

はじめてのライブハウスの裏側、

だいすきなバンドのセトリ、

関係者のステッカー、

はじめてのリハーサル、

わたしにライトがあたってる、どきどきした。

今まで感じたことがない高揚感だった。たまらない!

他のバンドの方はライブ慣れをしている人ばかりでより不安になった。

でもきみは大丈夫、たのしもうっていってくれた。

すごく救われた。ありがとう。

ライブはとってもすごくひどいものだった。

でも間違いなくわたしの人生のなかでいちばんの青春だった。

その夜、きみはこのバンドはこれで解散だけど、

またあなたと組みたいといってくれた。

うれしかった。

わたしもまたきみと音楽がしたい。

それぞれの道に進んだきみとわたし。

さいきんまた音楽をはじめたんだと報告をくれた。

うれしかった。

ありがとう。

わたしはまたきみとバンドが組みたい。

ずっと音楽をつづけてほしい。

きみがしあわせでありますように。

気になっている彼のこと

1人で帰ってる帰り道。

あの日、貴方が送ってくれたときにみた夕焼けを今は1人で見える。

“君”がとなりにいた時、

綺麗な夕焼けだったから写真に撮った。

その写真を見返すたび、

綺麗な夕日と思うよりも隣にいてくれた“君”を思い出す。

「撮った写真、送って」って言われたから送ったけど、

貴方もその写真を見返して私を思い出してくれるかな。

高校生のときに好きだった彼

恋がはじまったときの、

感情がどんどん加速していくようなあの感覚。

どんな恋がはじまったときでもいつも思い出すのは

高校生のころに好きだった彼に対するあの感覚でした。

その時の彼と私には何も接点が無かったから、

やたら彼のクラスに用事を作っては顔を合わせるタイミングを増やしたり、

彼の移動教室の時には何もないのに廊下に出てみたり、

今思うと立派なストーカー(笑)。

いつの間にか少し話すようになって、

2人きりで会うことが増えて、

デートを重ねて、付き合って。

大人になった今でも、

恋がはじまるときにはいつも、

あの加速していく気持ちと一緒に彼のことを思い出しています。

幼馴染

24歳という若さで闘病の末なくなってしまった幼馴染。

交友関係が違い疎遠になっており、

最後に会ったのは成人式でした。

そのときの会話も一言二言くらい。

それでも君は僕にとって特別な人で、

幼馴染と呼べる人は君だけなのです。

君がよく遊んでいたゲーム、

気に入っていたサングラス、

家の裏で捕まえたザリガニ。

暮らしの中で君を思い出す材料がたくさんありすぎて困ってしまいます。

いつか老けた僕と若かりし君とで再会できることを願っています。

小学3年生の時に出会った親友

小学3年生の時に席が隣になって仲良くなった人がいました。

当時は小学生らしく、クラスが変わったら疎遠になったり、

一緒になったらまた仲良くなったりの繰り返しでした。

2人とも中学生になった頃には周りから

「ニコイチ」と言われるくらい仲良くなっていました。

きっと、お互い1番の親友だと思っていました。

この関係性は高校でも大学でも変わらず、

家族よりも信頼できる存在でした。

ガラケーの時代からLINEができる現在まで連絡が途絶えたことがなく、

本当に些細なことでも話していました。

しかし、大学4年生になり、

お互いにコミュニティが広がって会う回数は減っていきました。

そんな中、久しぶりに会う約束をしたのですが、

私が生理1日目になってしまい、

当日にドタキャンをしてしまいました。

そこから関係は壊れました。

相手は計画が崩れるのをとても嫌がる性格です。

しかし、私は体調不良なんだから仕方がないじゃんという言い分で喧嘩をしてしまいました。

13年間親友で、ずっと隣にいて、ずっと話していたのに、

最後の喧嘩ではろくに話し合いもできず、

カップルが別れるように親友という関係を終わらせました。

あの時私が素直に謝っていたら、

そもそも体調を崩さなかったら、

色々なことを考えます。

しかし、きっともう縁が離れかけていたのだと思います。

そう自分に言い聞かせています。

今はもう隣で話を聞いてあげられないけど、

誰よりも幸せでいてほしいなと思っています。

そして、私じゃなくても日常の些細なことを話せる存在ができていたらいいなとも思います。

ただただ元気でいてください。私の君へ

半年間どっぷり片想いしてた君

大学三年生の夏、学部の模擬研究で後ろに座ってた声にやられた。

一耳惚れだった。

「好きになったから連絡先交換しない?」自分じゃないくらい一直線に向かった。

そこから日々の中で、好きな音楽を話して、

tetoを知ってることに嬉しくなったり、

オンライン授業で2人だけ顔見合わせてLINEしながら笑ったり、

授業おわり先を急ぐ階段で、

転びやすい君にすごく夢中だった。映画も見たし、手持ち花火もした。

もっかいちゃんと告白をした。

「嬉しい。でも考えさせて。」そのうち、秋を超えて冬が来た。

初詣に行こうなんて話をしてた。

すごく調子が良かったんだ。

ある日、「こんなことはもっと早く言わないといなかったんだけど、、、」

と連絡がきた。

嫌な文面だった。ドキドキのベクトルが変わった。

「実は気になる人がいて、これからご飯行ったり遊びに行ったりはむずかしい」ときた。

「褒めてくれたり、好きって言ってくれたり、すごく嬉しかった。」

ああ、フラれてるんだと思った。

一人浴槽でシャワーを浴びながらひっそりと泣いた。

シャワーヘッドが固くて少しイラついて、たくさん悲しくなった。

傘を一本貸していたこともあって、しばらくは連絡が続いた。

「入口のところで待ってるよ〜」最後だった。

傘を貰ったらもう終わりなのに顔を合わせるのが嬉しかった。

それから、なにごともなく学校生活をすごしていたが、

大学の正門で友達を待っていたら、居た。君のとなりは僕じゃなかった。

同じ学部の顔見知りだった。

君と目が合った。神妙な顔をしてた。

そんな顔をさせてごめんと思ってしまった。

 

あれから僕にも彼女ができた。

大学を卒業して就職し、一人で上京もした。

心はだいぶ強くなってた。

夏から秋になり冬になる。

季節をまたぐ間に、スウェットをどこかで着る。

いつか見た姿が頭をよぎり、

『たまに君のことを思い出してしまう』。

図書館にいたお兄さん

小学生の頃、大きな総合公園のそばの図書館は私たちの遊び場だった。

どんな風に知り合ったのか、どれくらいの期間交流があったのかも朧げだが

いつも静かに本とノートを広げていた大学生くらいのお兄さんがいた。

その兄さんは筆談で「何年生?」「家は近く?」と話しかけてくれた。

私は普通に喋っていた気がする。

相手に自分の声が届くのは当然と言わんばかりに。

姿を見つけては書棚の陰から覗き、

それに気づいたお兄さんがイタズラを見つけたように微笑むというのが一連の遊び。

しつこい私たちに、随分と忍耐深く付き合ってくれていたように思う。

恋心ではなかった(当時クラスで人気者の同級生にゾッコンであった私)。

ただ会えると嬉しくて、

バレンタイン時期に思いつきでスーパーで母に安いハート型のチョコを買ってもらい、

無言でお兄さんの広げたノートの上に置いた。

驚いた顔で何か言いたそうな彼を残してそそくさとその場を後にしてしまった。

その後図書館は移転し、彼と会えた記憶がない。

当時のお兄さんは、

馴れ馴れしく絡んできたメガネの小学生に何を思っていただろう。

突然渡されたチョコレートにさぞ困惑しただろうと思うとちょっと可笑しくなってしまう。

そして穏やかに、お元気に過ごされていたらいいと願う。

通学中に見かけた高校生

高校生の頃、毎朝見かけた君。

人気のない朝7時の通学路で、

同じ学校の制服を着た君が印象的でした。

黄色いロードバイクで私の自転車を追い越していく君の顔も声も知らないけれど、

大きくも引き締まった君の背中が好きでした。

今でも同じ道を自転車で通ると、

ふと君のことを思い出します。

もう出会うことはないと思うけれど、もしまた見かけたら、

その背中を目で追ってしまうんだろうな。

替えがきかない、唯一無二の君

そこそこに楽しくて、そこそこに充実していて、

そこそこに満足している日々。

朝起きて、働いて、ご飯を食べて、寝る暮らし。

その繰り返しの日々の中でどこにも躓くポイントはないけど、

気を抜くと君のことを思い出してしまいます。

このご飯、君が食べたならなんていうかな。

この景色、君に見せたらどう喜ぶかな。

この仕事の愚痴、君に聞かせたら小気味よいジョークを交えて一緒に笑い飛ばしてくれるのかな。

それは他の誰であっても替えがきかなくて、

君のことだけをふと思い浮かべて考えてしまうのです。

親でも友達でも彼氏でも伴侶でもない、

ただ1人の君という替えのきかない存在のこと。

初めて付き合った彼女で、後悔してもしきれないほど傷付けてしまった人。

僕もあの子も地元から離れてないはずなのに

見かけることも会うこともなくなりました。

でも、たまに友人から話を聞いたり、

あの子が吸ってたタバコに似た匂いがするたびに

付き合ってた時の思い出とか蒸し暑さ、

お互いに若すぎたバカなやりとりなんかを思い出します。

じゃがりこの塩とごま油味

マジで美味い。レベルが違う。

たらこバターも捨てがたいが、塩とごま油。レベルが違う。

今は亡き、塩とごま油。

たまに君のこと思い出してしまうよな。復活求ム。

大学時代の男友達

その男友達とは、バイト先で知り合いました。

何がきっかけで仲良くなったのかは覚えていないけれど、

天然なのかなんなのかいつも突飛で

奇妙な発言ばかりする彼がとても面白かったです。

お互いに彼氏彼女がいないときはたまに飲みに行く、

至極健全な友人関係でした。

大学卒業後、彼はかなり遠い地元に帰ることになっていたのですが、

最後に会ったときの別れ際に

「もう会えないね〜。今までありがとう〜」

と言うと、

彼は私に拳を突き出し

「俺たち一生友達!」

と無邪気に笑いかけてきました。

「ダサ!」

と言いながら拳を合わせたのを覚えています。笑

あれから一度も会っていないけれど、

元気かなあとたまに思い出します。

元カノ

Helsinki Lamda Clubが好きだということで

仲良くなり付き合った元カノ。

付き合った期間は短かったけれど

当時一人で暮らしていた僕の家に転がり込んで

ずっと一緒にいた時間はかけがいのないもの。

君はテレビでよくHelsinkiのMVをよく観ていた。

お風呂から上がってくると必ずと言っていいほど

「午時葵」をニコニコしながら観ていた君の後ろ姿を

この曲を聴くときに思い出してしまう。

今でも彼女はHelsinkiを聴いてるのかな、幸せになってるといいな。

バンドが好きなあの子

ライブハウスで出会い、

腕の上げ方とノリ方が一緒だったから声かけたって言ってたあの子。

お姉さん、このバンド相当好きですよね?!って声かけられた。

そこからSNSを交換して何度かライブに行った、

車でちょっと遠くのライブハウスに行ったりもした。

私は社会人であの子は大学生だった、

就職で離れたところに行くって言ってたけど、

実感はなかった。

それから数年経って、

あの子のSNSは数年前で止まってて、

連絡もしてない。

元気なのかも全然分かんない。

まだバンドは好きなのかな、

まだこっちのライブハウスでは会えてないな。

いつかまたライブハウスで会えるかな。

teto

2016年の秋に出逢ったバンドteto。

秋になると初めて観たことを思い出す。

当時YouTubeで見て衝動的に初めて下北沢の小さなライブハウスへ行った。

本気でかっこいいと思えるロックを初めて見て心底惚れた。

メンバーもファンも優しくて聴き心地、居心地も良かった。

対バンでHelsinkiも知れて、大好きが沢山増えて沢山ライブに通った。

大音量で演奏を生で聴いてる時間だけがホントの自分でいられるような気がした。

現在私は結婚し、子供も出来て日常生活が多忙になった。

自由がなくなり昔のようにライブハウスには行けない。

たまに行けても持病が悪化して最後まで見られない。

今じゃ出会ったファンの人たちも何をしてるか知らない。

でもその中でtetoで出会った大事な友達は残ってくれてるし、

今は優しい旦那と可愛い子供がいる。

不平不満をもうtetoのライブで撒き散らして発散する事は出来ないけど、

1番輝いてたtetoと1番楽しかった自分の思い出だけは残っている。

ありがとう。ずっとありがとう。

あなた達のおなげでなんとか生きていけるよ

モリッシー

よく酔っぱらって1人部屋でくねくねダンス踊ってました。

昔の恋人

学生時代、進学を期に一人暮らしを初めた君。

引越は君が借りた軽トラで。

2人で荷物を運んだ。新居に向かって川沿いを走りながら、

大声で歌ったスイート・キャロラインが一生忘れられない。

君とよくある理由で別れてしまったけど、

この幸せな思い出は死ぬまで残り続けると思う。

過去の性的パートナー

束縛彼氏から結局逃げられなかった"君"。

いきなり死んじゃった"君"。

挿入だけは頑なにさせてくれなかった"君"。

ノリと勢いだけで1ヶ月だけ一緒だった"君"。

 

ブルガリの香りがした時。

貸したまま返ってこなかった

水色のパーカーに似たものを目にした時。

夜な夜な見たレンタルDVDを見かけた時。

思い出の土地を訪れた時。

そして当時の曲を聴いた時。

 

あの子は今何してるかなとか、

あの子と一緒になってたらどんな人生だったのかなとか、

そういうことではなく、

あの時、楽しい時間と癒しをありがとう、僕は元気に生きてます、

という感謝の気持ちがふと込み上げるのです。

シケモクおじさん

朝早く出勤すると必ず遭遇するシケモクおじさん。

いつも同じバスから降りてきてシケモクを回収する。

ボロボロのジャージで自販機の中まで探る姿は、

側から見ると怪しいが、

僕にとってゴーストワールドのノーマンみたいな存在だった。

最初は危険人物認定として見ていたが、毎朝会うたびに、

「この人同じ時間に出勤(?)してるのすごくない?」

と勝手に仲間意識が芽生え、

最後には「この人も頑張ってるから自分も頑張ろう」

と心の支えになっていた。

職場を変えたいま、会うことはなくなったけれど、

繁華街に落ちているシケモクを見かけては思いだす。

煙草トリップ

昔大好きで大嫌いだった人と居酒屋へ行くと、

最初のオーダーを済ませてすぐ煙草に火をつけます。

「煙草なんて百害あって一利なしだよ」と注意すると、

膨れた顔で煙草の煙を吹きかけてくる始末。

煙草が嫌いな僕は、咳き込みながら相手を冗談混じりで睨みつけると、

それを面白がるように満面の笑みで

「私は30で死ぬからいいの」なんて言うから

喜怒哀楽どの感情・表情・言葉で

何と返したらいいのか分からず困惑していました。

そして、居酒屋を出る前に必ずリップをつけるのですが、

リップの端っこが一本の棒みたいに残る癖の強いつけ方をするので、

「また変な残り方してる」と伝えると、

「私、先端恐怖症でこのリップ見ると少し怖いんだよね」

とまた意味の分からないことを言うので、

何回かそのリップを折ってしまおうかなと思いつつも、

日に日に伸びる変な赤い棒にも愛着が湧いていました。

それ以降も私は煙草を吸うことはありませんが、

煙草の匂いやリップをつけるたびに彼女はもうすぐ30歳だな。と、

あの日の何気ないやりとりに思いを馳せてしまいます。

元恋人

ありきたりやけど、"君"と行った場所をひとりで通りかかったとき。"

君"と行きたかった場所に"君"以外のひとと行くとき。

"君"がいつも纏っていた香りを街で見つけたとき。

中学受験した親友

年少から小6までずっと1番仲良しだった親友。

周りの友達に双子?って言われることもあって、

クラス写真を見返したら笑った顔がおんなじだった。

ほとんどの子が地元の中学に進学した中、

中学受験をする子もちらほらいて親友もそのうちの1人だった。

当時彼女は携帯を持っていなかったので、

卒業してから会うことはおろか連絡すら取れなかった。

そんな中学3年生の冬、英検会場で本当に偶然彼女を見かけた。

運命だと思った。

私は3級を受けに行ったのに、

親友はもう2級を受けていた。

彼女はその時もまだ携帯を持っていなかったから、

年賀状を送るために住所を聞いた。

それが彼女と会った最後で、

次第に年賀状も送らなくなってしまった。

来年は成人式だけど、会えるかなあ。会えたらいいなあ。

まだ実家にいるのか知らないけど、

今年は年賀状を送ろうと思ってる。

高円寺のパン屋さん

大学受験の頃、私はよくお腹が空く子だった。

今でもそれは変わらないが、

当時はそれを妙に恥ずかしがっていて、

毎日十七時半くらいに塾を抜け出して

高円寺のパン屋さんに駆け込んでいた。

退勤後のサラリーマン、

会話を楽しんでいる高校生、

無言でコーヒーを啜る老夫婦。

なんとなく同じを日常を横目に塩パンを一つ頬張るのだった。

そんな日々も雪が降りはじめる頃には薄れ、

なんとか明るい春を迎えることができた。

あれから三年ほど経って、バスを待っていた日のこと。

ロータリーに止まった赤い小さな車から小柄な女性が出てきた。

小走りで駅の方に向かい、

数分して大きな食パンを二つ手に抱えながら

車の窓越しに合図をした。

「お母さん、これでいいのね」

「そうそう、ありがとう。ちゃんと自炊するのよ」

そんな会話が聞こえたと思ったら

背中に大きなリュックとスーツケースを手にして、

その女性は駅の方にまた去っていった。

あの頃よく行っていたパン屋さんでおつかいを頼まれたのだろう。

どんな別れ際にせよ、淋しさは必ず心のどこかにある。

強い抱擁を交わすのもいい、あっさりと手を振るのもいい。

こんな風に温かい別れもまたいいと思った。

当時のことを思い出してホッとした私は塩パンを二つ買い、

またバス停に並びなおした。

20代前半の頃のセフレ

お互い全く恋愛感情もなく1年くらい関係のあったセフレ。

デートに出かけるわけでもなく、

代々木の狭いアパートでとにかくセックスだけしてた。

ある夜一度だけ「好きって言ってよ」って言われて

「好きだよ」って言いながらセックスしたのを時々思い出す。

心から「好きだよ」って言ってくれる人とその後の君は出会っただろうか?

大学の時の友人

大学入ってすぐに意気投合して

同じクラス同じサークルで毎日一緒だったのに、

卒業と同時に彼女が海外留学、

私も就職してバタバタしていたのをきっかけに

全く連絡を取らなくなってしまいました。

ふと思い出してメールした時にはすでに連絡取れない状態に。

なんでもっとちゃんと連絡先とか聞いておかなかったのか

今でも後悔すると同時に

仲良さそうにしてる大学生を見るとふと思い出します。

お気に入りのリップとリボンのリング

めっちゃくちゃお気に入りのリップに限って無くすんだよなあ。

どのカバンやポッケ探してもないし。

 

それと、絶対落とすよ〜って

ママに言われるだろうなと思いながらポケットにしまった

キラキラの大きいリボンがついたリング。

無くしたのに気づいた瞬間、

言わんこっちゃないと言われるやろな〜

と空耳でママの声が聞こえたよね。

 

どこに行っちゃったんだよ〜〜〜

高校時代に出会ったあの人

君は、いつも勉強をしていた。

勉強が大好きだった。

頭の良い、私よりずっと背の高い君。

そしていつも、目立っていた。

学年の代表とか、学校の代表とかそんなんで。

いつからか、登校時間が重なった。

一緒に学校の近くまで行ってそれぞれ友達と学校に行った。

いつからか、一緒に登校したこともあった。

同じ授業を受けた時は、勉強を教えてくれた。

夜中まで地理のレポートが終わらなくて、

ずっとLINEをしていた。

私のレポートが終わるまで起きていると、

言ってくれた。

今はもう、そのレポートに使ったノートの画像は見れない。

季節は冬へ。

二人の間の特定機密にしよう。

そんなLINEの一言が可笑しい。

愛おしい。横浜に二人で出かけた。

おしゃれして君を待つ。

君の服装を思い出せない。

ちゃんと待ち合わせにきたので、驚いてしまった。

二人で歩く、横浜駅。本屋に行った。

二人並んで本を見る、時間が止まればいいのに。

部活の話をベンチでして、私は泣いた。

君は頭をそっと撫でてくれた。

それから、歩いていて、普通にすっ転んだところ、

ちゃんとキャッチしてくれた。

ヒールできてよかった、靴づれはひどかったけれど。

映画は観れなかった、

君は塾に通っていたから、あまり遅くなれなかった。

帰りの電車、君は私の小指に触れた。

この指輪、何?と。

それは友達とお揃いで買ったピンキーリングだった。

 

手、冷たいね。僕が温めてあげる。

と手を握ってくれた。幸せだった。

 

二人は付き合うこともなく、

なぜか 気まずくなってしまった。

 

距離をつめすぎたのだろう。

 

一度だけ、大学生のころ、君が電話をくれた。

なんだったのだろう。

出られなくてごめんとLINEしたら、

スタンプしか帰ってこなくて、

ただの間違いだったんだろう。

 

あの頃の君と私に、会いたい。

昔一緒に暮らしてた愛犬ルドルフ

何も考えずにスクロールしていた画面に出てくる

茶色のふわふわの犬を見るといつも思い出す。

7年前まで一緒に暮らしていたルドルフ。

かっこいい本名を持っていながらも

家族や周りの人からはルーちゃんと呼ばれていて、

当の本人もルーちゃんでしか反応しなかった。

おすわりしかできない、脱走する、

散歩では飼い主をぐいぐい引っ張る、お風呂は本気で嫌がる。

かなり手のかかるきみだったけど、

絶対に噛まなくて一緒にいると掌も心も暖かくなった。

そっちで元気にしてるかな?欲をいえば、

もう少し夢とかに出てきて欲しいかな。

またどこかで会えるといいな、

血の繋がらない愛する家族。

いまはもういない愛犬 君は子どもたち

毎日毎日退屈

空を眺めるか寝るしかやることがない

そんな僕に笑顔をむけてくれる至福のとき

僕より大きい君が近づいてくる

僕は言葉がわからないけど、

うれしそうにわしゃわしゃと

からだを撫でまわしてくれる君が好きだ

僕とは違って君にはやらなきゃならないことがあるから

ずっと一緒にいることはできない

着るものが変わっても、手の大きさが変わっても、

君が僕に向けてくれる笑顔だけは変わらなかった

最後のときは一緒にいられなかったけど、さみしくなかった

言葉がわからない僕だけど君の笑顔だけは忘れない

心配しないで、忘れないから

子供の頃飼っていた鳥

金木犀が咲き始めると

思い出しまう事がある

毎年じゃないけど、ふと、思い出す

 

小学生の頃、さくら文鳥を飼っていた

クラスに馴染めなくて、

まっすぐ家に帰っては鳥籠をずーっと眺める毎日だった

いわゆる「手乗り文鳥」でもなく、

ただただ忙しなく籠の中を動き回る文鳥

何を思ったのか、籠の扉を開けてみたくなった

そして、開けた

すぐには出ていかず、

様子を伺うかのように私の顔をじっと見ていた

目が合った(ような気がした)

その瞬間、文鳥は外へ飛び出した

はっと、我に戻った私は、

慌てて玄関の網戸を閉めようとしたが遅かった

文鳥は裏の山へ飛んで行った

小学生と言えど、わかっていた

産まれた時から飼われていた鳥が

野生で生きていけるはずはないと

(本当にごめんなさい)

 

自分と重ねたのだろうか

籠の中でしか動き回る事ができない鳥

でも籠から出ても上手く生きていけないかもしれない鳥

もし自分が文鳥ならどちらを選ぶだろうか

大人になってもその時の自分の気持ちも

この答えも分からないまま

 

金木犀

この香りが漂う秋晴れの日は

君のことを思い出してしまう

小学生時代の友人

引っ越しに伴って小学2年生の頃に転校したんだけど、

前の学校で仲が良かった男の子が

「〇〇ちゃんとはもう会えないんですか」って

泣きながらうちに電話をかけてくれたって親が教えてくれた。

それを知った時はそこそこ時間が経っていて、

君には君のコミュニティができているだろうし、

連絡先もないしまた会いたいなんて言えなかった。

でも恋愛とかそういうの抜きで

純粋に会えなくて寂しいって思ってくれた人がいる、

というのがお守りみたいで、

一生懸命電話してくれた君が

嬉しくてさみしくてかわいくてたまに思い出す。

もうそんなことも、わたしのことも忘れちゃったかな。

みっちゃんのお母さん

小学校の頃、

いつもお弁当箱が“開かない”友達、みっちゃんがいた。

毎朝みっちゃんのお母さんが、

ご飯が熱々のまま密閉型の容器を閉めているから、

そうなるようだった。

そんなお母さんの不器用さが、みっちゃんに似ていた。

中身はきまってミートボール・卵焼き・白米。

当時の私にとっては、シンプルすぎて衝撃的なお弁当だった。

ポストを3回叩くと願いが叶う恋のおまじない

当時小学生だった私には、好きな男の子がいました。

好きな男の子と両思いになりたいけど、

そんなこと恥ずかしくて友達や家族には話せないし、

どうしたらいいか分からなかったときに図書館で見つけたおまじないの本。

そしてそこに書かれていた「ポストを3回叩くと願いが叶う恋のおまじない」。

そのとき好きだった子の、顔も名前ももう思い出せないけれど、

公文の帰りに人目を盗んで「両思いになれますように!」と

念を込めて叩いたポストのおまじないのこと、

ふと思い出します。

別れた恋人

不器用で、人の気持ち分かんないタイプで、

あの人のせいでいっぱい泣いたけど、

それでも私に不器用ながらに愛を教えてくれた人でした。

遠くに行ってしまったのでもう会えないけど、

またいつかどこかで偶然出会えたらいいなと思っています。

首を括ってしまった旧友

たまに君のことを思い出してしまうよなというフレーズを聴くと

2016年の10月に首を括ってしまった旧友を思い出す。

10月11日に葬式へ行き、

その足で大好きだったバンドのラストライブへ行った。

あの日全てを無くしてしまった気がした。

数日後にThis is a pen.のMVに出会った。

救われた気がしたんだ。

「言葉よりも速く南へとサヨナラさ」というフレーズが頭で反芻し、

数ヶ月後千葉から愛知へ引っ越して7年が過ぎた。

「これはどこにでもある話

終わりと始まりの繰り返し

なんてことない日々の暮らし

This is a pen.

Death is a friend.」なんて口ずさみながら今日を過ごしている。

 

あの日から8年が経ち、

夜勤を終えてお酒を飲みながらこの文章を書いている。

今から少し寝て、夜に名古屋でヘルシンキを観る。

 

ps

愛知に越してすぐにヘルシンキ繋がりでtetoを知り、

tetoの追っかけをしていたあの頃があったから

今もライブハウスに行ってます。

今日のスリーマンが楽しみ過ぎて眠れない。

好きな人です。

とてもとても大好きな人です。

その人の職業は、バンドマンです。

目が合うと、笑ってくれて、とても大切にしているよ。

という視線をしてくれます。カメラに笑う姿もとても好きです。

歌声はほんとうに好きで好きでえろえろです。

弾くギターは天地がひっくり返ります。とても愛おしいです。

嬉しそうな私たちを見て、嬉しそうな顔をしてくれたり、

嬉しかったことを言葉にしてくれたりした時は本当にすきっ!となります。

サイン会でとても優しく接してくれて嬉しかったです。

想いを伝えたことは無いし、

今後もできないと思うけど、想い続けると思います。

 

よくふと思い出すのですが、

1番思い出す瞬間は寝る前に目を瞑ると顔が思い浮かびます。

連絡先を持っていないので、連絡もできません。

この想いをどうこうするということも無いのですが、とても大好きで、これからもずっと大好きですね。

 

ヘルシンキの曲を一緒に聴きたいと思う人です。

高校の時の彼氏

その日あったことを

お互い話し合って笑いあって帰ってたあの放課後の帰り道、

ゆっくりのんびりぽかぽかした時間が流れてた

あの駅沿いの帰り道。

今でも暗い時間電車の音が聞こえると、

手を繋いで帰ってたあの幸せな時間を思い出します。

ひとつしたの元恋人

いつも運転するのは私だった。

 

君を迎えにいくまでの15分。夜中だと12分。

初めて会った日に2人で口ずさんだ

あのバンドの曲がカーステレオから流れる。

なんで知ってるの?って笑い合ったあの日から

もうこんなに経ったんだなあ

 

必ず煙草を一本吸ってから乗り込む君。

呑気におまたせ〜なんて言ってたけれど、

君の家までの道、よるだと暗くてこわいんだよ。

ついてからも待たせるなんていやな男だ。

 

いとおしいという目で掴んでくるほっぺも、

きもちいいとしめてくる首も、

煙がかからないようにとはなれていくうなじも、

いやになるほど覚えている。

どうせならそのままもっと嫌になって、きらいになりたかった。

 

今ではもうショッピングモールいくときくらいしか通らないあの道。

よるとひるではまるで別の道みたいで。

助手席には、特に買うものも決まってないのに何かを買う気満々な母。

元気にしてるかな。

私はあの曲をきくたび、車に乗るたび、

煙草を吸う君の横顔を思い出してしまうよ。

「10億年後に、また」という約束

決してハッピーエンドではないし、

当時の自分が辛かったことは忘れない。

今は私にも元恋人にも、それぞれ大切な家族がいる。

普段、その人を思い出すことはない。

きっと相手も同じだと思う。

でもお互いの誕生日やひょんな拍子に、

連絡が来るし、連絡をする。

なぜだかは分からない。

一年に2,3回だけ簡単なやり取りをして、

「またね」をする。

そして時々、夢で会話をする。

中身は覚えていない他愛のない会話。

でも必ず、「またね」で終わる。

当時は呪いのようだと苦しんだ約束も、

今では心地よい過去となり、

年に数回思い出すだけの言葉。

今でも時々、夢にでてきては私の名前を呼ぶ君。

『おばあちゃんになってもおねえちゃんって呼んでね』

って言ってたけど、

君はおばあちゃんになることはなかったね。

夢の中の君はいつも笑顔だから、

目覚めてしまった私は少し寂しくなるけれど、

向こうで元気にやってるんだって信じて私はこっちでがんばるよ。

職場の元先輩

近所のイタリアンでの食事中、

熱々のパスタを一口頬張り

「あ、あの人コレ絶対好きだ!」と

美味しいよりも先にそのことを思った。

いつだってブレずお茶目で仕事が出来る。

私にいろんな学びをくれた人。

今はすぐには会えないけどふとした瞬間にこうやって思い出す。

人生の転換期にあの人に出会い、

人は出会うべくタイミングで出会うんだなぁと感じた。

かわいそうなわたし

あの時のかわいそうなわたしを、

永遠に心の中で飼っている。

新卒入社した会社の環境は悪かった。

働く時間がどんどん長くなり、

少ないお休みにはしくしくと泣いていた。

職場の人は、できない私に冷たかった。

自分の身を守る方法だけを考えていた。

心が風邪をひいたことをきっかけに、環境を変えた。

引っ越した街は、なんだか幸先よかった。

昔ながらの牛乳屋さんがあった。

市が管理している植え込みに、

勝手にひまわりを植える人がいるらしい。

夜になるとおじさんとおばさんが

手をつないで歩く姿を見つけた。

新しい職場にも、うまく溶け込んだ。

さあ、入水、幸せのスープに浸かった。

初めてまともに面倒を見てくれる先輩ができた。

何段階にも訪れる幸せを感じながらも、

少し思い出してしまうことがある。

かわいそうだったわたしのこと。

きっかけは色々で、

当時職場で使っていた歯ブラシセットを

押し入れから発見した時や、

リクルートスーツを着ている学生を

街で見かけたときなど。

一度記憶を紐解いてしまうと、

わたしが本当にかわいそうで、

居たたまれなくて、

抱きしめてしまう。

無色透明な涙が頬を伝うたびに、

乾いた布で拭く。

彼女のこと、

いつまでも忘れないで、

大切にしてあげよう。

死んだおじいちゃんです

「こんな世界で生きるのは飽きた」

と言ってから自殺しちゃったおじいちゃん、

私が16歳になるまでこのことは教えてもらえませんでした。

教えてもらったのは、はじめて私が自殺しようとした時。

そのあと何回、数えるのは忘れちゃったけど、

同じ景色を見て、同じことを思ったか、

なんで私は助かっちゃうのかなぁ。

でも、おじいちゃん、空から見てるー?

こんな面白くて宇宙みたいな音楽に、

いつもウキウキする私の顔。

1回目で死んでたら、実は出会えなかったんだよね 〜、

死ぬまで生きたら誉めてよね 〜!ヘルシンキ、

私の人生の誇り

小学生の頃に好きだった男の子

小学校の頃に好きだった男の子をふと思い出します。

その子は普段あまり笑わない子だったので、

席替えをして同じ班になれた時は

「笑わせてやるぞ!」といつも意気込んでいました。

いつかの給食の時間、

その子の向かい合わせの席でご飯を食べていた私は

その子を見事大笑いさせる事ができました。

その子は笑った瞬間、

口に含んでいた牛乳を私の席に向かって吹き出してしまいました。

でも私は牛乳がかかってしまった事よりも

笑ってくれた事がめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。

当時給食に出ていた200mlのパック牛乳を

スーパーで見かけるとその子の事をふと思い出します。

そして思い出すたびに、

口から牛乳を吹き出しちゃうという

恥ずかしい思いをさせてしまった事を申し訳なく思います。

昔長く付き合っていた恋人

以前わたしが働いていた会社は終業時間が遅く、

職場を出るのが毎日23時頃、24時を過ぎる日もありました。

ほとんど人が消えた夜の住宅街を自転車を漕いで帰る日々。

「今日空めっちゃ綺麗」

「そろそろ満月や」

「今日の月メロンみたいでかわいい」

「オリオン座見えた!」

景観を守るため高い建物が無かった土地なので

空がとても綺麗に見えてました。

当時お付き合いしていた恋人に

やっと連絡を返せる時間帯、

よく月や星の報告をしていました。

特に細い三日月が好きだった私は、

ある日その日の月の写真を送りました。

すると普段はそんなことしない恋人が

写真に落書きしてニコちゃんマークにして送り返してくれたのです。

今でも月を見上げる癖はついたままですし

細い三日月の日は何故か思い出してしまいます。

元気でいてくれるといいなと思います。

ライブで出会った女性

1人でドキドキしながら行ったライブ、

その日は雨が降っててみんな傘をさして

自分の整理番号が呼ばれるのを待っていました。

そんな中1人雨に濡れている女性がいたので、

普段なら絶対声をかけたりできない私ですが勇気を出して

「よかったら傘入りますか?」と言って一緒に傘に入りました。

呼ばれるまでの間少しだけ話をしたりしたけどそこだけの関係で終わりました。

でもなぜか記憶に残ってて雨が降っている日とか、

ライブに行った時とか、

たまに思い出します。

まだあのバンド聴いてたらいいな。

以前付き合っていた彼女

以前付き合っていた彼女と一緒に寝る時の話。

 

自分は足元が冷えやすく、

よく靴下を履いて寝ていたんですが、

彼女には黙ってそれを脱がす癖?がありました。

必ずというほど脱がしてくるので理由をきいても

「そのほうがいいんだよ」

くらいの返事。

その時は深掘りするでもなく、

ちょっとしたイタズラ程度に捉えていたと思います。

 

5年ほど前に別れてしまったのですが、

先日テレビで

「靴下を履かない方が、足裏から体の熱を放出できてぐっすり眠れる」

と言っていて、

ふと彼女のことを思い出しました。

楽しかった思い出や、

些細な優しさを拾えなかったことを少し苦く思いながら、

また1人で眠りにつきました。

小学校の同級生レオくん

小学校3年生の時一番仲が良かった男の子。

口を開けば冗談ばかりで大好きな友達だった。

ある日の放課後、

話があると彼に呼び出され

一緒に校庭を歩いていると転校することになったと告げられた。

もう来週には引っ越すこと、

理由が両親の離婚だったこともあり、

私はそっか、と言ったきりしばらく黙ってしまった。

あまりに悲しくて、

いつもふざけあっていたのに茶化す気にもなれず、

正直に、

寂しいよと伝えるとレオくんの目いっぱいに

涙がたまっているのが分かった。

その刹那、彼はおもむろにズボンを下ろして

お尻を突き出し小さくおならをすると、

ギャハハ!と笑い走り去っていった。

(レオくんは自由におならができる特技を持っていた)

あまりの急展開に頭と心がついていかず、

その時彼の履いていたトランクスと同じものを

私の弟も履いていた事に気付き、

イオンで買ったんだ…とピントのズレたことを思った。

青地にヤシの木柄のトランクスを今でも鮮明に覚えている。

あんな突飛な方法でふたりの寂しい空気を

なんとか誤魔化して笑わせようとしてくれていた心を思うと切なくなる。

あの子はどんな大人になったんだろう。

たまに思い出して会ってみたくなる。

大学の時に仲が良かった男の子の先輩

大学生の時たまに飲みに行っていた男の子の先輩。

ヘルシンキのことを語れるのは先輩しかいなくて、

飲み屋でたくさんヘルシンキについて話しました。

その先輩はバンドを組んでいて、

「ヘルシンキともし対バンできることがあったら、呼ぶよ。

君が一番好きなマニーハニーを演奏してくれないか頼んでみるよ」

って言ってて。

照れくさそうに笑ってたのをよく覚えてます。

少し夜は肌寒くなってきた秋の頃でした。

私はもう社会人で、違う人とお付き合いもしてて、

2人で飲みに行くことはなくなってしまったけど、

たまに先輩のことを思い出します。

井上君

 かれこれ8年前、

井上君は高校3年間ずっと片想いをしていたお相手です。

一度しか話したことはなかったけど、

その一度だけで分かりやすく恋に落ちました。

一年生のときは同じクラスで

何度も何度も話しかけようとしては言葉を飲み込む日々でした。

きっとその言葉たちでお腹がいっぱいだったのでしょう、

食べ物が喉を通らないこともありました。

当時の私にとっての答えはやっぱりひとつで、

井上君と結ばれることだけを考えていました。

信じたい未来も同様です。

恋した瞬間の軽やかでさわやかで

ちょっとビターな気持ちは歪な愛となって凝固し、

私は身動きが取れずにいました。

2年生になるとクラスが離れ離れとなりました。

廊下や体育館で一目見れるだけで嬉しくなってしまう自分が

柄にもなく素直で恥ずかしかったなぁ。

3年生になると井上君には彼女ができていました。

もう時すでに遅し。

何をしても、もう答えも信じたいものも

手に入らないと頭ではわかっていました。

だけど脳の古い箇所が

まだまだ井上君が大好きと訴えてきます。

居ても立っても居られなくなり、

LINEで想いを伝え、

あっさり断られました。

完全に脈を打たなくなった恋心。

どうして心臓が動き続けているのか

不思議でたまりませんでした。

私はその時、一度死にました。

もっと文学的で丁寧な言葉を選びたいところですが、

あれは「死」でしかありませんでした。

なんてことなかった日々の暮らしが

とてもとても遠のく生活を送ることになりました

私は悪いことひとつもしていないのになぁ、

と小さな窓しかない部屋に1人で三角座りをしていました。

いつのまにか窓から見える紫陽花が咲いては枯れていました。

きっと薄れていく悲しみの類いだと

いまだに自分に言い聞かせてはホロリと涙をこぼしたりして。

その涙はどこまでも甘美であれよと願いながら。

井上君、死ぬほど大好きだったよ!!

元彼

変な歩き方の人を見ると、

前に付き合ってた人を思い出します。

踵で地面を刺すように歩く姿が

不機嫌な子どもみたいでとてもかわいくて、

そんな彼を見ては指を刺して笑っていたし、

「やっぱりこの歩き方、変かなあ」

って困ったように笑う彼が好きだった気がします。

今となってはどうして別れたのかすら思い出せませんが、

変な歩き方の人を見かけると

私はいまだに君のことを思い出してしまいます。

君もたまには私のことを思い出しますか?

保育園の頃に買ってもらった三日月のおもちゃのステッキ

小学3年生の頃、

友達が家に遊びに来た。

保育園の頃に遊んでいた

ピンク色に金メッキで上に三日月がのっているステッキ。

三日月は危なくないように先端は丸みがかっていて

対象年齢を考慮した造形が今考えると愛おしい。

そのステッキを見た友達はこう言った。

「まだそんな子どもっぽいもの持ってるの?」 今ならわかる。

きっとその子も大人になろうとしていた。

もしかしたら、誰かに同じことを言われて

まだ遊びたかったおもちゃを手放してしまったのかもしれない。

 

だけど私はその日すごく恥ずかしい気持ちになった。

子どもっぽいは恥ずかしいんだと悟った。

だからさっそくお母さんに言った。

「そのおもちゃ捨てて」 母は言われた通りに捨てた。

おもちゃを手放したその日から、

私はなんだか少し、大人になった気がした。

 

れから随分月日が経って形だけは大人になった。

私はあの頃と同じ今ではプレミア価格になった

三日月のおもちゃのステッキを中古ショップで購入した。

ボタンを押すと、あの敵を倒すときに

アニメで流れるチープで懐かしい電子音に気が付けば涙が溢れた。

だけど、このおもちゃのステッキはかつての私のように

誰かが遊んで手放したその子の魔法がかかったもの。

私があの時遊んでいたあのステッキは世界でたったひとつだけ。

同じものを手にしてもなお、君のことを思い出す夜がある。

 

あのねあの時本当はまだ、子どもでいたかったんだ。

高校の友人

高校の友人は部活が一緒でした。

ちゃらんぽらんな私と違い

努力家で誠実でやや堅物な友人がとても好きだったし憧れてもいました。

恋愛の話になった時は

よく変なヤツに捕まるなよと繰り返していました。

少なくとも私は本気でそう思っていました。

部活の友人達とは卒業して進路はわかれていきましたが

大人になっても交流は続いていました。

ある時友人達と集まった時その友人から当時の私の言葉が

その後の異性関係において呪いになってしまったことを告げられました。

本気とも冗談とも知れない口調だったのですが

そのやりとりは強く記憶に残っています。

その後しばらくしてその友人とは疎遠になってしまい

真意はわからないまま今に至ります。

人を辿れば連絡不可能ではないのですが

そこで本当に拒絶されたらどうしようという気持ちと一緒に思い出しています。

元婚約者

たくさんの大好きを教えてくれた人。

好きな音楽も、好きな映画も、

たくさん影響を与えてくれたから、

たまにどころか、何度も何度も。

サーフブンガクカマクラを聴きながら江ノ電に乗るつもりが、

ME to MEの曲を一緒に口ずさんだね。

たくさん傷つけてごめんなさい。

たくさんたくさんありがとう。

忘れてしまったほうが自分のためにも、

君のためにも良いと思うけど。

大学生の時の親友

入学して初めてのガイダンスの時かな

、あなたはヘンテコなキーホルダーをつけていて、

お友達になれそうだなとちょっと思った。

私よりもまともそうな風貌をしてるのに、

ところどころおかしい。

心のどこかで、もう疲れたから全部お休みにさせて欲しい、

就職して結婚して子供産んで家建てて、とか、

この世で生きていくの私には無理ゲーすぎると、

暗かった私に剽軽さを思い出させてくれた。

各々ガチトーンで他人に喋ると

暗すぎて相手が引いちゃうようなこと抱えてたけど、

あなたになら、キャンパスの木陰のベンチでうまい棒かじりながらとか、

鴨川にじゃぶじゃぶ入ったりしながら、

ため息を吐くみたいに話せました。

鴨川の亀の飛び石の二つ並んでるやつのうちの一つに

2人で猫みたいに丸まって

ぼんやり秋の日差しがあったかいねなんて言ってるうちに、寝てたね。

起きた時に、我々まじでここでよう寝れたなって自分らで引いたよね。

ほんで授業の記憶はほぼほぼないね。

お散歩ガチ勢の私達、いろんなものを見ましたね。

前を歩いているおばさんが

得体の知れないまずそうな実を拾って味見をしているのとか、

お昼ごはんのパンを私がトンビに

ぶんどられてとっさに出た言葉が「返せコラ!」だった場面とか、

あなたがゲットしたまた変なガチャガチャのキーホルダーとか。

私が寄ってきた鳩に餌をやるふりをしておちょくってたら、

あなたは、可哀想だからやめたげてと叱ってくれたのも覚えてる。

存在を知ってしまったのに

手に入らないのがすごく辛いって、よくわかるもんね私達。

鴨川を歩いていると1番に思い出すのはそんなこと。

うまい棒食べてたあなたと、亀でお昼寝したこと、

鳩に可哀想なことするなと叱られたことと、

西日に照らされたふわふわの髪の毛のぼんやりのあなた。

あなたの出産祝いに贈ったのはキリム。

ほんとは現地でキリムは

ピクニックシートみたいにも使うらしいよ。

最高にぼんやりで、難しい局面もそのぼんやりでかわし、

穏やかな幸せを最大限味わうぼんやりさ。

ずっと日向で穏やかにぼんやりできますようにって、願いを込めました。

私ともまたお散歩して外でぼんやりしてな。

よく夢に出てくる友だち

大学で同じ部活の同期。

普通に仲は良かったし、

今も年に1回は部活のみんなで集まって飲みに行く。

でも2人で遊んだことはないし、

ましてや特別な感情も当時からない。

なのにしょっちゅう夢に出てくる。

だからと言って意識するわけでもない。

だけどふとした時に「なんでこんなに夢に出てくるんだ?」と思う。

思うだけ。

文通相手

顔も知らない、声も知らない。

知っているのは筆跡と趣味、

そして好きな匂い。

文通なんて今どき流行らないだろうけれど、

高校生の私は

いつでも繋がれない不自由さがなんか良いと思っていた。

好きな花の香水を手紙に付けて毎回送ってくれていて、

何回尋ねても教えてくれなかったけど、

大人になってクチナシの匂いだったことに気が付いた。

夏生まれの自分の花だったんだね。

連絡を取ることはなくなってしまったけれど、

クチナシの匂いをかぐたびに

顔も知らないあの子のことを思い出します。

変な筆跡も曲がった性格も全部好きだったんだな。

亡くなった2日後は日比谷野音のライブに行く日だった。

チケットがもったいないから行っておいでと母に言われて、

傘をさして家を出た。

ライブの間にもどんどん雨足は強く、

雷鳴は鳴り、

それが逆に客席に熱量を与えているようだった。

曲中の鯨の鳴き声がこの日ばかりは泣き声に聴こえ、

なんとなく私も一緒に泣いた。

この日のことも、父のこともやはりたまに思い出す。

近所にできたドッグランの看板をみて、

真剣に「ドッグって、いぬってこと?」と聞いてきたこととか。

なんてことない日々の暮らし。なぜかどうでもいいことばかり。

父は英語が苦手だったな。

「This is a pen」もわからないかも。

さすがにそれはわかるよって場合は手を振って。

新社会人になろうとしていた自分

バイトや遊びに明け暮れた大学時代に終わりを告げ、

社会人としての新たな一歩を踏み出そうとしていた君。

新たな世界に飛び込むのが苦手な君は、

就職を控え得体の知れぬ恐怖に襲われていたね。

仕事に忙殺されて友達と遊べないかもしれない、

旅行に行けないかもしれない、

愛してやまないヘルシンキのライブにも行けないかもしれない。

そんなことを考えては理由もなく涙を流していたね。

でもね、大丈夫。たまには逃げ出したくなることもあるけれど、

素敵な大人に恵まれて楽しく仕事ができているよ。

ヘルシンキのライブももう何度行ったことか。

就活を頑張って、

今の会社に入社を決めてくれて、

不安だった日々を乗り越えてくれてありがとう。

おかげで素晴らしい日々を生きれているよ。

祖父

祖父と夜ご飯を食べる時いつも決まった音楽がかかっていた。

祖父が亡くなってからは聴く機会がなくなった曲をふと思い出す時がある。

その音楽を聞くと祖父との思い出や祖父のことを思い出す。

これからも大切な人

最後のとき、ほんとなのかなって

迎えにきてくれたとき、寂しそうだなって

ライブのとき、楽しそうにしてくれてるなって

卒業のとき、お花持って祝ってくれたなって

旅行のとき、めちゃめちゃ楽しいなって

クリスマスのとき、緊張してるなって

祭りのとき、こっそりかわいいなって

誕生日のとき、すごく嬉しそうだなって

手繋いだとき、あったかいなって

ギターを弾いてるとき、頑張ってるなって

初めて会ったとき、なんか居心地いいなって

親友の息子

晴れの日、君を思い出す

君が居るだけで周りを幸せにしてくれる存在でした

2歳2ヶ月と短い間しか一緒に居れなかったけど

闘病生活も笑顔で治療を泣かずに受けて

誰よりも勇者でした

今でも挫けそうな時は

君の人生の一部を一緒に過ごせたことを誇りに思い、

いつか会う日に恥ずかしくないように奮い立たせてるよ

産まれてくれてありがとう

関珈琲

全国の紙パックコーヒー牛乳を飲むのが好きで、

旅行では必ず見つけたら買うようにしている。

商品によってのパッケージに個性があるし、

もちろんコーヒーと牛乳の割合の差もあって

その土地の思い出として残るのが楽しい。

そしてほとんどの商品は

200円以下で気軽に買えるのもいい。

そんな中で岐阜県で出会った関牛乳の関珈琲。

これはコーヒーと牛乳の味わいや

少し塩が効いて美味しいのはもちろん、

パッケージの無骨さも含めてなんとなく覚えている。

もう飲む機会は無いかもしれないと思うと

"たまに君のことを思い出してしまうよな"。

数年前に好きだった人

半分しか写っていないフィルムを

嬉しそうに見せてくれたときの目。

相槌に困るほど古着のこだわりを語ってくれたときの目。

目が合っているのに目が合わなかった。

君にはこの世界がきらきらして見えたんだろう。

数年経った今でも君が教えてくれた趣味の中で生きている。

僕の世界も日々きらきらを増している気がして。

一生一緒だと思ってた元彼

頭が良くて背が高くて何でもお洒落で

お酒が好きで運転するのも好きな君の大好物は、

意外にもメロンパン。

可愛いなあ、って思ってた。

私は甘いパンは好きではなくて、

パン屋でメロンパンなんか目に入ったこともなかったけど、

今でもパン屋に行くと君が喜ぶかなって

メロンパンを手に取ってた自分を思い出す。

今は他の素敵な人とメロンパンを美味しそうに食べてくれてたらいいな。

小学生の頃好きだった人

小学1年生の時に出会った君。

最初の記憶は学童でふざけて取っ組みあったこと。

名前も知らない君、そこから関わった覚えもない。

しかし、それから何年か後、

まわりから君が私を好きだという噂が流れ、

私の耳にも入ってきた。

その時はなんの感情もなく、

ただからかいに照れるくらいだった。

小学5年生になった時、君と同じクラスになった。

なぜか、何回も連続で隣の席になったり、

授業でペアを組む時、課外授業の班、

他にもたくさんの偶然で君と一緒になった

。足が速くて、勉強も得意で、優しくて、面白い君。

いつのまにか私は君を好きになっていた。

告白したわけでも、振られたわけでも、付き合ったわけでもない。

でも、ずっと両思いだったのは

きっと君もわかっていたんじゃないかなと思う。

こんな、ありきたりな、

小学生という未熟な頃の恋をこんなにもずっと覚えているのは、

君の匂いが好きだったからだ。

なんの匂いかと聞かれてもわからない。

小学生だから香水をつけているわけでもないだろうし、

家庭の匂いなのか、柔軟剤の匂いなのか、、

今でもふと、「あれ、なんだっけ、この匂い」と感じることがある。

振り返っても誰もいない。

けど、君の匂いだ。今も同じ匂いでいて欲しい。

振り返ったら、君がいて欲しい。

予備校生時代の男友達

君とはいつも一緒だった。

本が好きな事もちょっとねじれた音楽の趣味も、

大人がみんな大嫌いって価値観も。

ふたりで授業に出ずに、毎日予備校の休憩室でおしゃべりして、

帰り際は別れたくないから何時間も駅で立ち話して。

ふたりで参考書を買いに行った時、

しらないおばさんに素敵なカップルって冷やかされた。

私は慌てて否定しようとして、横を見たら、君はピースしながら、

そういうことでいいんだよって言ってた。

受験が終わると、君と連絡がつかなくなった。

勝手に心を奪っておいて、大嫌い。

昔好きだった女の子

大学1年生の秋、同じ学部に好きな人がいました。

チャットモンチーの橋本絵莉子さんに似ていました。

 

少しだけ仲良くなれたので、

夜間の授業を1コマだけ一緒に受けることになりました。

 

授業が終わって、学部棟から正門、そして家が同じ方角だったので、

一緒に歩きながら話して、またね、という感じで。

たった週に一度だけ、ほんの5分ほどの待ち遠しい時間でした。

 

その帰り道に金木犀がありました。

街灯のオレンジの光とか、

冷たい風に混じった枯葉や土の湿った匂いとか、

肩をすくめて歩いたこととか、

並んだ影が伸びていたこととか、

その子がスピッツの全アルバムを貸してくれたこととか

本当に何気ない場面や出来事を、

あの匂いで思い出します。

きっとあの帰り道に金木犀がなかったら、

思い出すこともなかったような些細なことばかり。

 

その子とは一度映画に行きましたが、

なぜか始まる直前に

「地元に好きな人がいてね」

と最悪の予防線を張られてしまい、

映画の内容は全く頭に入りませんでした。

クリスマスに2人で食事をするも、

やはり微塵も告白が叶う未来を感じられずに終わってしまいました。

金木犀の匂いがすると、

恋にすらならなかった行き場のない気持ちと、

彼女のことを思い出します。

買い換える前のスマホ

新しければいいってわけじゃないよね。

まるで口癖のように私によく語ってくれた。

ボロくなって充電の消費が早くなり、

画面の表示も光線が横に入るようになっていた。

買い換えを渋って3、4年。

どんどん不便になっていた。

 

大事にしていなかったわけではなくて、

同じ時間を過ごしすぎただけだった。

私たちのなかではそういうものだから、

と敢えて口にしてこなかったこともたくさんあったのに、

ふと人前に晒されると驚かれてしまった。

 

この4月に社会人になり、生活も一変した。

過ごした時間を思い返す暇もなくなり、

実は嫌だったところが我慢できなくなって、

あっさりと家電量販店でスマホを買い換えてしまった。

 

見慣れていない綺麗なスマホを使いこなそうと

必死に自分をアピールして、

あっという間に順応してしまった。

機能性も増して、できることが増えていく。

その瞬間はかゆいところに手が届く感覚に、

買い換えたことに喜んでいた。

 

ただ、鮮やかに映る画面を見て何も思わない日々を、

果たして楽しいと呼んでもいいのだろうか?

高性能、より良いものを求め続けていることを疑っているべきではないのか?

 

不便で扱いづらかった日々にはもう戻りたくはないのに、

その時間を覚えてしまっている。

スマートに移り変わった生活の隙間で、

君のことをふと思い出してしまう。

中学から10年間好きだった人

中学生になって、まわりに囃し立てられることが増えて、

あんなに仲良くしていた君との距離が開いてしまった。

あの時変に意地を張らずに話せてたら。

好きだって伝えられてたら、何か違ったのかな

ベトベト油のついたポッカレモンの容器。

昔から、焼肉をするとなったら、

我が家ではポッカレモンが必ず食卓に並んでいた。

私がレモンをお肉やお米にかけて食べるのが大好きだからだ。

祖父母や友人の家や、外でBBQする時も、必ず準備されていた。

私がお肉の油まみれの手で触るからレモンの容器はベトベト。

ちょっと油っこい、だけどとてもいい香りの、

愛情たっぷりの私の幼少期の大切な記憶。

4年前の元恋人

喫茶店に来るとなぜか紙で活字を読みたくなる。

ボロい本棚から借りた雑誌には、

懐かしい駅名が表紙に載っていた。

「おはよう、春が似合う町」

たしかに間違いない。

春にはよく散歩をした。公園でキャッチボールもしたし、

川沿いを歩いて桜も見に行った。

でも、ページをめくってもめくっても思い出の場所は出てこず、

出てくる素敵なお店やカフェや定食屋さんの数々は

どれもまったくの見知らぬものばっかりでなんだかおかしい

若いわたしに偉そうにしていた、

あの北向きの部屋の文化人づらした家主

なーんにも知らないじゃん!

10コ歳上のくせに、会社勤めをしながらバンドもやる、

三角のお香を買ってる、あたかもオトナで洒落てますよ、

顔の髭面のパーマのくせに

なんにも知らないまんま大阪に行って、

ザマーミロ!

 

あれから4年が経って、

わたしは大学生から社会人になって、

一人暮らしを始めて。

わたしが今暮らしている街から、

井の頭線、途中で乗り換えをして、

準特急で二駅。

特に用もないから、

あれから一度も降りていない。

ただ本当にたまに、思い出す

憧れのあの人

煙草の匂いが鼻をかすめたときに思い出す、

喫煙所に行かないと会えなかった憧れのあの人。

 

自分は吸わないしむしろ苦手で、

平気なふりして出てくるのを待つのが精一杯。

でも話した時にかすめたあの匂いは嫌じゃなかったし、

たぶんちょっと甘ったるい感じもした。

匂いというより香りっていいたいぐらいに。

 

数年後の今でも、

喫煙者らしき人とすれ違った時に、

つい違うなあってなる。

そんな自分が気持ち悪いと思ったけれど、

プルースト効果という名前があるぐらい

よくある話だと知って安心したり。

 

何よりもう自分から喫煙所に行かなくなったし、

苦手のままでよかったな。そろそろ忘れたいけど。

小学生のとき作った埴輪

私の通っていた小学校では卒業前に埴輪を作る行事があった。

図工が大嫌いだった私は、

なんで埴輪なんて作るんだろう…と思っていた。

でも、初めての埴輪作りは思いの外楽しかったし、

私の埴輪が1番かわいく仕上がった自信があった。

作品を作るのって実は楽しいのかもと

初めて思えた時間だった。

完成後は山に飾ってくれたらしい。

私の埴輪、元気にしてるといいな〜とたまに思い出す。

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